ジャンヌ・ダルク〖1412/1431〗
ジャンヌダルクについて聞いたことがありますか?フランスではとても有名な偉人の一人です。どうしてでしょうか?みんなで一緒に見ていきましょう‼
ジャンヌダルクの伝記
百年戦争というフランス王国対イングランド王国の戦に明けくれていた時代1412年(日本の室町時代)にジャンヌダルクはドンレミという町で生まれました。彼女が13歳の時に、突然、イングランド王国の支配からフランス王国を救いたまえという神のお告げが聞こえました。そのときからお告げが度々聞こえるようになりました。はじめは怖かったので何もしませんでしたが、四年後にお告げ通りにフランス王国を救うために行動することを決断しました。
17歳の女の子として、お告げが聞こえることを皆に伝えると誰にもに信じられませんでした。信じてもらうために彼女は様々な行事を予言しました。そのおかげで少しずつ人々が信じるようになり、彼女がシャルル7世(次期王になる存在)に会いにシノンに行くのに必要な馬とエスコート(六人の男性)を用意してくれました。(シノンは現在美味しいワインがたくさんあります!)彼女は真剣に話を聞いてもらえるよう、行く前に男性のように髪を短くにして男性風の服を着ました。
シノンでシャルル7世にジャンヌダルクは四つのことを告げました。一つ目はオルレアンという町をイングランド王国の包囲戦から解放することです。二つ目はランスでシャルル7世の戴冠式(王になるための式)です。三つ目はパリのブルゴーニュ派とイングランド王国の支配からの解放です。最後はオルレアン公を救うことです。シャルル7世は彼女を信じらなかったので、もし一つ目の項目(オルレアンの解放)が出来たら、信じると言いました。ジャンヌダルクは大軍を率いてオルレアンに向かいました。
支配されているオルレアンの住民を救うために、ジャンヌダルクは兵士と補給を持って来ました。1429年5月8日にフランス王国は敵軍を打ち倒し、オルレアンを解放しました。その勝利のおかげで、これまで優勢であったイングランド王国に代わり、フランス王国軍は一番強くなったので、この行事はとても重要です。それからジャンヌダルクはシャルル7世のもとへ向かい、フルクは一緒にランスへ行き、1429年7月17日に戴冠式が行われました。即日彼女はブルゴーニュ公に平和の要求の手紙を送りました。王になったシャルル7世にジャンヌダルクはパリを開放する説得をしてみました。彼は渋りましたが結局行こうと決断しました。
パリで戦いのとき、ジャンヌダルクが怪我をしてしまったため、諦めて逃げました。そのせいでこの戦いに敗れました。そのためシャルル7世はもう戦争をやめようと告げました。その時から、ジャンヌダルクは自分の軍で戦争していきます。
1430年コンピエーニュ包囲戦が行われ、ジャンヌダルクは人々を救おうと現地に向かいましたが、5月23日にブルゴーニュ派により捕らえられてしまいした。どんなに挑戦しても、逃げることができず、何も出来ないまま11月21日イングランド王国に売られてしまいました。
イングランド王国で裁判が行われ、ジャンヌダルクは異端者として判断されてしまいました。その時代に異端者は火刑に処することとなっていたため、ジャンヌダルクはルーアンで1431年5月30日火刑によって亡くなりました。
行事
現在はオルレアンでジャンヌダルクの祭りが毎年4月29日から5月8日まで行われています。
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