石に残っていた銃痕
日本に住んでいると銃痕を見ることって殆ど無いと思う。
私の忘れられない銃痕は、韓国済州島のお墓に残っていた銃痕。
私の何代前になるかの方のお墓の墓石に銃痕が刻まれていた。幾つも。
済州島の風景は実際は、そんなに豊かでは無い。
李承晩政権の時の済州島蜂起の時、国軍による自国民の虐殺の時に、着いた銃痕だった。
虐殺の30年後ぐらいだろうか。
今は、墓石は取り替えられていて、穏やかな太陽の下、長閑な畑の中、火山石の囲いに囲まれて、国軍による自国民虐殺の痕は無い。
ボスニアヘルツェゴビナのモスタルという街に行ったことがある。中心街のすぐ側の集合住宅に銃痕が、幾つも残っていた。
街の真ん中を流れる川にかかるスタリモストという有名な橋は復興され世界遺産に登録された。私が行ったのは、モスタルが燃え尽き、停戦がもたらされてから20年後ぐらいだろうか。橋の周囲だけは明るく、笑い声が聞こえていた。
我々が、ガザに行けるのは、果たして今から20年後だろうか、30年後だろうか。
我々が、イスラエルを再び信じれるのは、50年後だろうか、100年後だろうか。
Facebookに2024年10月6日に行っていた投稿
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