私は、何故、福音主義なのか(2)
福音主義とリベラルという区分は、たいして人数もいないキリスト教プロテスタントを区分しちゃう詰まらない線引きかもしれない。ただ、勉強を進めるにつれて、少しわかってきたことがある。
キリスト教の大きな物語は、
世界が創造され(創造神の絶対性、超越性)
エデンの園から追放され(原罪)
神からの様々な手を握りしめることが出来ずにいたのに(旧約)
イエス様がいらっしゃり十字架の贖いを実行され(福音書)
此の世における神の国が到来し始め、前進し(新約)
最後の審判の時を待ち望む(救い)
という事だと思う。
福音主義とリベラルで、大きく違うところは3点なのかなあ、と感じている。
①原罪に関わる理解
罪論と言われる個所だと思う。罪論の中身というよりも、罪論をどのような優先順位で考えるのか、というところが違うのではないだろうか。
②イエス様の史実性の追求
イエス様は、受肉をされた。従って、人でもあるが神でもある。神でもあるのだから、色々な奇蹟を起こすのは当たり前で、その根拠や理屈など考えることに何か意味があるのか?と私なんかは思ってしまう。
キリスト教がイスラム教と異なるものであるのは、追及すると、イエス様を神として受け止めるかどうかの一点に尽きるはずである。イエスはキリストであるという信仰告白に尽きるはずである。
③この世における神の国において、教会がどのように宣教的であるべきかの重点の置き方が違う
どこまで教会は宣教的であるかの考え方が大きく異なる。これは教会の現場の在り方を、全く違うものにするのだと思う。
勿論、他にも、色々とあるのだろうけど、一番に大きいのは①なのかもしれない。罪、罪があるからこその怖れ、ということを、教え全体の中で、どこに位置づけるのか。②は多分、折り合うところがないし、③も個別論に入りすぎるのかもしれない。ましてや、この3つ以外の論点は、枝葉の議論でしかないのかもしれない。一番の根っこは、この罪論なのだと、正面から議論をしたらいいのかもしれない。
この論点構造に立った時に、やっぱり、私は福音主義なんだと思う。
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