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一重まぶたが二重になったお話
私の長年のコンプレックスは、一重まぶたである事だった。過去形である。
ある出来事をきっかけに、私のまぶたは二重になった。
忘れもしない2019年1月27日(日)の夜、あるニュースが飛び込んできた。国民的アイドルグループ、嵐の活動休止についての報道だ。
私の近くには嵐ファンが二人いて、一人はニノ担、一人は松潤担である。
その日、私はニノ担と一緒にランチをし、午後は私の家でのんびりと「不能犯」(松坂桃李主演)のDVDを観ながら、その内容に衝撃を受けて過ごしていた。
夜になるとニノ担は自宅へと帰り、私は翌日の仕事に備えて普段と変わりない生活をしていた。ベッドに転がってスマホをいじっていると、そのニュースが飛び込んできた。
まず思った事は、その日に会ったニノ担、そして同じ職場にいる松潤担は大丈夫だろうか、という事だった。ファンでも何でもない私が連絡するのは忍びなかった。
一人で過ごす部屋で、昼間に見た映画の余韻はなくなり、その隙間を埋めるようにじわじわと「嵐がいなくなるのかもしれない」という事実が膨らんでいった。
私はファンでも何でもない。だけど、嵐の華々しいデビューを鮮明に覚えている。
私は、嵐と同世代だ。
気づいたら私はやがて訪れるであろう喪失感を思い、わんわんと泣いていた。
十代半ばにデビューした彼らの道のりは、決して平坦なものではなかった。松潤担が言うには、嵐には売れない時期があったという。
努力に保証もない日々の中で、彼らはどんな思いで過ごしていたのだろうか。
売れる事が正義ではない。でも、彼らは国民に夢を与える存在になった。
その夜泣き続けた私は、翌朝。
――目が覚めると二重まぶたになっていた。
(ぜひ名探偵コナン風にアテレコをしたい)
昔からコンプレックスだった一重まぶたは、以前にも高熱を出したり徹夜をした時には、二重になることもあった。でもそれは一時的なもので、私は定期的にアイプチやアイテープをしながら、時にはそれらでまぶたをかぶらせながら、アイメイクに勤しんでいた。
それが、嵐の活動休止を思って泣いただけで、長年のコンプレックスが解消されてしまったのだ。
何度も言うが、私はファンでも何でもない。
私は、これを「嵐ロス二重」と呼んでいる。熱狂的なファンであるニノ担には絶対に言えない話である。
そんなわけで、約三年前から私は憧れの二重まぶたで生活をしている。
しかし、誰かに気づかれた事もなければ、理想の顔を手に入れたわけでもない。しょせん、土台は私の地味な顔だ。
一重まぶたはアーモンドアイと呼ばれ、特に欧米などでは好まれていると聞く。
私もルーシー・リュウのような容姿を持っていれば、一重でもきっとよかった。
人はないものねだりをする生き物なのだとつくづく思う。
嵐のいなくなった2021年が今日で終わる。
1月にはニノ担の家で、2020年末に生配信されたライブ「This is 嵐 LIVE 2020.12.31」の収録を見せてもらった。
12月には、ニノ担、松潤担、それぞれに付き合う形で、「ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”」を2回も観に行った。初めてのドルビーシネマの体験となった。
12月30日には封切された「99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE」を映画館で鑑賞し、もはや私も嵐のファンになりかけているのかもしれない。
5×20の映像を観ながら、私は夢を売るという事について考える。
夢を得る事、夢を売る事。
彼らの、何万分の1、何億分の1でもいい。私も誰かに、夢を、幸せを、与える事ができるだろうか。
一人で生きていく私のささやかな希望を抱きながら、
年末の挨拶に変えて。
2021.12.31 宮内ぱむ
BGM:嵐「果てない空」