1人でユニバに行った話
(初出: 2020/2/22 二次小説サイト)
そもそも30代も後半に差し掛かろうとする独身女が一人でユニバとはなんぞやと。
しかしいざ行ってみると、驚くほど通常運転な自分がいて、ああ私はいつもこうやってマイペースに暮らしているんだと唐突に自分探しの解答を得たような気分になり、妙な充実感を持って帰宅したのが昨日の話だ。
ただ協調性がない事を再確認しただけの、一日がかりの作業。高速バスにまで乗って私はいったい何をしたかったんだ。
だけど、すごく楽しかった。
今だから言える話なのだが、最後に(二次小説サイト掲載作品)を更新した日の私の気持ちはぐちゃぐちゃで、いずれは下げようと思っていたサイトの拍手もすぐさまに撤去し、本当に本格的にサイトから距離を置きたくなるような精神状況だった。
トリガーは、2019年11月24日に飛び込んできた訃報だ。
翌日の夜は、様々な嫌な感情に溺れてわんわんと泣き続け、気づけば朝になっていた。ほとんど寝る事もないまま仕事をしていた。協調性がないどころか、社会人としてもどうなのか。
特別その方のファンというわけではないけれど、自分よりも若い方が自ら死を選ぶというその衝動に引っ張られて、その苦しみがどれだけだったのか、私には分からない。理解できる日はきっと永久にやってこない。
その日、拍手を撤去したのと同時に、頂いたコメントを再度読ませて頂いて、優しさに触れて、この世界にはそういう温もりがあるんだよっていうことを教えてもらったようで、それでも現実的にどうしようもないことだらけで、私は未熟で、きっと世の中が冷たさだけで成り立っていたらこんな風に泣いたりはしない。
優しさがあるから世界は残酷だ。
だけどその温度に救われるから生きていける。
時々投げかけられる誉め言葉すら素直に受け取れなくて、たぶん私はそう思われるように行動しているだけの人間で、それを上手に生きていると呼んでしまったら、本当の意味で人に寄り添える日は来ないと思う。
そうでなくても協調性のない人間が、このままではいけないのだと頭の中で警報を鳴らすのだけど、未だに避難経路を見つけられないまま、中二病を引きずったまま、唐突にバスに飛び乗って一人でどこかに出かけたりする日がまた来るのかもしれない。
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