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演技と驚き◇Wonder of Acting #24
タイトル画像:アンリ・ルソー「子供と人形」
演技を記憶する、マガジン [December 2021]
00.今月の演者役名作品インデックス
吉右衛門さん/太地喜和子:芸者ぼたん『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』/吉右衛門さん/友達(42歳男)、友達(40歳女)/松田洋治:辺見敦『キャラクター』/藤原季節/大塚寧々:坂本小百合、佐藤寛太:坂本海星 『軍艦少年』/霧島れいか:家福音『ドライブ・マイ・カー』/長澤まさみ/ヘンリー・ハル:デイヴ・モリス、ミッキー・ルーニー:ホワイティ・マーシュ『少年の町』/フランキー堺:福田善一郎『モスラ』/『茲山魚譜 チャサンオボ』/あおい輝彦:犬神佐清『犬神家の一族』/神尾楓珠:安藤純、前田旺志郎:高岡亮平『彼女が好きなものは』/Ongakuza Musical『7dolls』/斎藤工:内山茂『愛のまなざしを』
01.今月の演技をめぐる言葉
メインコンテンツです。毎月、編集人が出会った「演技についての言葉」を引用・記録しています。※引用先に画像がある場合、本文のみを引用し、リンクを張っています(ポスター・公式サイトトップ・書影など除く)。
もし復帰できていたら、きっと吉右衛門さんの真意(こういった本行回帰)をより表現した舞台がまだまだ生まれていたはずです。見たかった。まだまだ、さらに深化した吉右衛門さんが見たかった。悔しくてなりません。
— 中村達史 (@tts_nakamura) December 1, 2021
『寅次郎夕焼け小焼け』の太地喜和子さんが大好き。最後、感謝してはしゃぐシーンの喜和子さんの演技が泣ける。
— 伊皿子りり子(編集Lily) (@lilico_i) December 2, 2021
ここ8か月、舞台でのお姿は見られなかったけれど、「吉右衛門さんのいる世界」と「吉右衛門さんのいない世界」は、私にとっては、まるで違う。33年間「吉右衛門さんのいる世界」で生きてきたので、「いない世界」でどんな風に生きていたか、忘れてしまった。
— 吉さま参る (@yumilumilu) December 3, 2021
友達(42歳男)と友達(40歳女)と3人でカフェに行ったら、私がトイレに立った隙に2人が上着を交換し、座席も入れ替わり、人格も入れ替わったという設定で寸劇をしていて(観客私一人)本当にしょうもなかった。
— なめらか (@_nameraka_) December 5, 2021
じぇれ@映画アカ @kasa919JI >
『キャラクター』のキャストは皆よかったが、特筆すべきは『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』で知られる松田洋治さん。TVドラマ版『家族ゲーム』の時から天性の演技力を感じさせたが、50を過ぎてさらなる凄みが!こういう俳優をもっと使っていきましょうよ、日本映画界は。
前も書いたけど、藤原季節さんのテンパって呼吸が浅くなってる演技が良いのよね。無様なんだけど格好いい。
— klein-2 (@klein2_def) December 9, 2021
#軍艦少年 予告にある通り喪失からの再起。
— イヌとかば (@WsKw7) December 15, 2021
撮影順は分からないが衰弱していく大塚寧々の体躯の演じ分け。佐藤寛太の瞳がピュア過ぎるのでこの子の辛さが伝わってくる。∞ではなく4で途惑う眼球の動きが印象的。ガラケーとかで最低限の時代表現はあったが原作漫画の時点でも十年前の話。 pic.twitter.com/nihHc6Tg5l
ドライブ・マイ・カー、もちろん三浦透子も良かったんだけど、霧島れいかをもっと評価してほしいな。あくまで“助演”という意味では霧島れいかの功績の方が大きいようにすら思える。出番が終わっても確かに存在感がある、主人公の悠介よりもこの話の中心(核)に位置する重要キャラを見事に演じ切ってた
— イシダコ (@unforgiven_0909) December 15, 2021
オクターヴ @TreeTre93040406 >
だから超一流なのよ。
詐欺師に見えるのは、まだ二流よん。
澁谷浩次 @yumboshibuya >
今年の635本目は『少年の町』を観た。ヘンリー・ハルのファンとしては大歓迎すべき、目を疑うほどに出番・台詞の多い映画で、『死の谷』や『不死身の保安官』に並ぶ代表作かもしれない。一方でミッキー・ルーニーの至芸ともいえる泣く演技は場面ごとに異なる感情を表現し尽くしており、笑える。
オニギリジョー @Toshi626262y >
『モスラ』はフランキー堺のコミカルな演技がとても楽しい。このフランキーやら『キングコング対ゴジラ』の有島一郎やら東宝のコメディ路線を支えた人たちが出てくるのもこの頃の怪獣映画の良さ。あの重厚な志村喬ですらフランキーとの掛け合いでは楽しそう。本多猪四郎監督の本領なのかな。
チャサンオボ、演技映画としては素晴らしかった。でもこれ監督が役者の演技が輝いている瞬間をしっかりと撮っている映画というよりは、役者がめちゃくちゃ健闘しているタイプの演技映画。監督の撮り方どうこうよりも、役者の演技の素晴らしさがそれに勝っている。役者が作家を掌握してしまっている作品
— いちろー (@shimesabaclub) December 9, 2021
鮫順 @tensame >
犬神家4K…くどいようだが、あおい輝彦の演技が素晴らしいよ。母親が犯人だと知ってしまった絶望感が滲み出ている。泣き喚きすぎず、この人の涙目と血の気の引いた顔が最後の20分を盛り上げています。
† 背骨 † @sebone_returns >
『彼女が好きなものは』
山田杏奈が後半のあるシーンで一気に素晴らしさを見せるのとは対照的に、主演の神尾楓珠は全編を通して世代トップクラスの演技力を見せる。それとこの映画は主人公の友だち俳優のトップが矢本悠馬から前田旺志郎にバトンタッチされた事も静かに教えてくれます
引用させていただいた皆さんありがとうございます †
02.雲水さんの今様歌舞伎旅(ときどき寄り道) 第十四回:人形たちがもたらす衝撃~箕山 雲水
ぼんやりとTVを見ていたら、第一次世界大戦当時の映像が流れた。『新・映像の世紀』の再放送。戦争、特に第一次世界大戦で特徴的だった塹壕戦がいかに人を狂わせたか。そのあまりにも残酷で、けれどどこか淡々としているようにすら感じさせる映像を見ながら私は、つい先日観劇した音楽座ミュージカルの舞台『7dolls』を思い出していた。ボール・ギャリコの『七つの人形の恋物語』が原作だというその舞台は、しかし原作とは大きく趣が異なっていた。人形を通して男と女が愛し合う恋物語ではなく、背景に蠢く“不穏なもの”が全体を包む物語への変換。それが、舞台上で7人の“人形”と7人の“人形役の人間”、そして主人公の一人、ムーシュが演じるドタバタの人形劇の明るさの中で、しかもミュージカルとして上演されるものだから、今年一番「自分の感情をどこに持っていっていいかわからないミュージカル」として心の中に住み着いてしまった。たまたま、舞台を上から見下ろす席で観たせいだろうか。自分たちの生きる時代を箱庭の中におさめて見ているような気さえして身が竦む。こんなに心の中に住み着くミュージカルを、今まで観たことがあったろうか。感想を単純に口にすることができない、自分の気持ちを理解すらできない作品に、今まで出会ったことがあっただろうか。とんでもない名作の誕生に立ち会った、そんな気持ちで、今この瞬間も感情を揺さぶられ続けている。
その名作を支えていた大きな要因が人形たちの存在である。これは戦争で傷ついたもう一人の主人公、キャプテン・コックが彫った7人の人形たちのことで、実はこの作品の真の主人公(と私は思っている)。ミュージカルであれば役者が演じれば良いようなものだが、この舞台ではなぜか、冒頭から人形が登場し、比較的長い時間、実物の“人形”が人形劇を演じる。やがて“人形役の人間”と“人形”が舞台上でひょいっと入れ替わり、人形劇の枠の中から飛び出して芝居をしてみたりするのだが、だんだん、人間が人形を演じているのか、それとも人形が出ているのかわからなくなり、これが“不穏なもの”が通り過ぎていく不気味さとあいまって「現実とはなんなのだろう」とこちらの心を鷲掴みにしてグルグルと掻き回してくる。幼い頃から人形劇が好きで、子供向けの人形劇から文楽まで海外のものも含めてそれなりには観てきたつもりだが、人間と人形がシームレスに入れ替わるものを観たことがないせいなのか、これも未知の体験であった。なにより、人形役の役者の粒立ち方と、カーテンコールになって初めて知ったが、プロの人形使いではなく同じ舞台に出ている役者たちが操る人形たちの粒立ち方、そしてそれぞれがシームレスに入れ替われるだけの違和感のなさ、息の合い方、もうどこをとっても「素晴らしい」の一言だった。どの人もよく考えればとても個性的で、かつうまいのに、誰がよかったとか彼がどうだとかいう感想を思いつきもしないほど、どの人も役者そのものが前に出ずに役が前に出ている。だから、こちらが受け止め切れないほど大きなメッセージが作品全体から発せられるのだろう。あまりに圧倒的なものを観たせいで、終演後、呆然としてしまった。こういう作品こそ評価されて然るべきだとうは思うが、表面上、明るく楽しい、よくできたミュージカルに見えるこの作品をきちんと評価できる評論家がいるのだろうか。一ファンの生意気な挑戦状だが、その評価が気になるところである。
さて、今月はドラマで見た中村七之助丈のことも書きたかったのだが、これはまた次回にでも。良作の多かった2021年。大晦日には、今年のベスト10でも考えながら年を越そうかな。
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03.隔月連載 演技を散歩 ~ pulpo ficcion/第九回 分厚い普通さ-斎藤工
藤子不二雄の作品で、平均的地球人(日本人?)家族が登場するものがあった。家族構成、年収、生活ぶり、過ごし方の全てが統計的平均値に合致した一家を宇宙人が観察するというプロットであった。AかFかは失念したけれど、彼(ら)らしい、はっとする着眼点の佳品だった。
さて、斎藤工である。意識して追いかけている俳優ではなかった。そもそも「こう」ではなく「たくみ」と読むことを、記事を書くことにしてから知った程度の観客であったことを最初に白状しておく。
おや、とひっかかったのは『8日で死んだ怪獣の12日の物語(劇場版)』。怪獣の卵を育てる男の物語だ。登場人物たちがPCのオンライン通話でやりとりするドキュメンタリー風の作りの、まさにドキュメンタルな主役を、けれど完全なナチュラルではなく、すこーしだけオーバーリアクトな演技でこなす。その少しの厚みが、突拍子のないプロットと今の閉塞感とをしっかりとつないでいた。むむ、この方お強い!だったのだ。
そして先月、『愛のまなざしを』を観た。
ファム・ファタルものだ。妻を自死によって失った精神科医(仲村トオル)とその元患者(杉野希妃)の愛の物語だ。偶然の出会いが「女」性によって、関係の絶対に変容してしまう物語である。斎藤工は死んだ妻の弟。精神科医に対する恨みを抱えつつ、彼に相対する役だ。常に、はおっている作業服がとても似合う。
多くのエンターテイメントが消化にいいものを作りすぎていて、何も引っかからない離乳食のようなものが増えているような気がしていますが、僕は劇場でお客さんにひっかかる、消化できない、胃の中に腸の中に残る違和感みたいなものを持ち帰る帰り道が、一番の映画体験だと思います。
そう語る斎藤工は、では、奇行種的な役を演じたのか?パラノイアックな、もしくはスキゾフレニックな人物を演じたのか?
いいえ。そうではないのです。
彼は、あまりにも、あまりにも普通の人を演じる。先の藤子不二雄の家族のような徹底した普通さだ。元患者の女性とのダイアログ、あからさまにではないが誘惑のモメントがある。彼は動じない。撥ねのけるわけでもない、躱すわけでもない。ただ水のように誘惑の匂いを流すだけだ。
彼女は、精神科医をより強く繋ぎ留めるため、嘘をつく。斎藤工は(結果的に)その嘘にのる。のりはするものの、あっさりと白状し、謝罪する。
彼はドラマツルギーを無化することだけが目的のように、この映画の中に存在する。姉に対する強い思慕はある。それだけがある。その気持ちを伝えたら、ただちにフレームアウトしたがっているかのような俳優。物語の起点にもエンジンにもならず、がんとして普通の人として存在する役。
彼という参照点があることで、精神科医とかつての妻の、また、元患者の女性との欲望の交換、抜き差しのならなさが、異常な輝きを帯びてくる。
今回の映画でも、自分は何者であるか?を意識しないことを意識する。そんな意識がずっとありました。不思議な時間でしたね。撮影もそうですし、試写を観たときも。磁石のマイナスとマイナスがくっつかない、その間の部分を描くような、心地いい違和感がありました。それがいったいどんな類の時間だったか、試写で観て初めて理解したようで。幸せでした
引き合う磁石はくっついて終いだ。反発しあう磁石こそが、その間の空間を異様な何かに変質させる。彼は「関係」を「関係」のまま宙づりにする。「関係性」などというわかったような物言いに回収されることを拒むのだ。その過剰な普通さに触れた感覚だけが、今も残っている。
先のインタビューによると、仲村トオルと斎藤工がビルの屋上で抱き合うシーンが撮影され、最終的にカットされたそうだ。そのシーンのことを仲村トオルはうまく思い出せなかったと語っている。
「強烈に」記憶されることを拒むような仕方で、演じ、そのことで記憶される俳優、斎藤工。彼が次に演じるのは『シン・ウルトラマン』の主役だ。期待以外の何ができるというのか。
†††
04.こういう基準で言葉を選んでいます(といくつかのお願い)
舞台、アニメーション、映画、テレビ、配信、etc。ジャンルは問いません。人が<演技>を感じるもの全てが対象です。編集人が観ている/観ていない、共感できる/共感できないは問いません。熱い・鋭い・意義深い・好きすぎる、そんなチャームのある言葉を探しています。ほとんどがツイッターからの選択ですが、チラシやミニマガジン、ほっておくと消えてしまいそうな言葉を記録したいという方針です。
【引用中のスチルの扱い】引用文中に場面写真などの画像がある場合、直接引かず、文章のみを引用、リンクを張っています。ポスター、チラシや書影の場合は、直接引用しています。
【お願い1】タイトル画像と希望執筆者を募集しています。>
【お願い2】自薦他薦関わらず、演技をめぐる言葉を募集しています。>
05.執筆者紹介
箕山 雲水 @tabi_no_soryo
『火垂るの墓』の舞台となった海辺の町で生を受け、その後大学まで同じ町で育つ。家族の影響もあって、幼い頃より人形劇などの舞台や太鼓、沖縄や中国の音楽、落語、宝塚歌劇、時代劇などに親しんでいる間に憧れが醸成され、東京に出てきた途端に歌舞伎の魅力にどっぷりはまって現在に至る。ミュージカルやストレートプレイ、洋の東西を問わず踊り沼にも足をつっこんでいるため、本コラムも激しく寄り道をする傾向がある。愛称は雲水さん
pulpo ficción @m_homma
「演技と驚き」編集人。多分若い頃に芝居していたせいで演技への思い入れがけったいな風に育ってしまった。それはそれで仕方ないので自分の精神的圏域を少しでも広げたいとこのマガジンをつくった。今年は20年ぶりに芝居やりました。来年も続けるみたいです。
06.編集後記
二年続きました。我ながら意外でした。もとはと言えば演技について観客同士が語り合う(プレゼンしあう?)ワークショップがしたかったのでした。ということで、次々2月号で「2021年、記憶に残った演技」という特集を組み、関連してオンラインミーティングみたいなことができないかと考えています。雲水さんにも相談していないのですが。記事とイベントのアイデア、出演者を募集します。
さて、2021年も終わりです。来年もあまたの演技に驚く一年でありますよう。次回25号は1/30(日)発行予定です。みなさん、よいおとしを!