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演技と驚き◇Wonder of Acting #18

タイトル画像:ジョット「ユダの接吻」

キスはここでは裏切りのモーションだ。回りの人々はそれを知る目でユダを見つめている。ひとりキリストはユダを真正面から受け止めようとしている。観客はどちらの目でドラマを見つめるのか
[演技を記憶するためのマガジン 2021.June]

01.今月の演技をめぐる言葉

オニギリジョー @Toshi626262y 元tweet>
『茜色に焼かれる』尾野真千子さんが素晴らしかった。演技賞モノです。色々モヤモヤして映画の感想はまだ湧いてこないのですが一点云えるのは日本にもこんな女優がいるんだぜってこと。世界に知られて然るべき。
澁谷浩次 @yumboshibuya 元tweet>
今年の332本目は『佐々木、イン、マイマイン』を観た。全てが佐々木の不在に捧げるかのような言葉・演技・撮影の集積が役者たちに重くのしかかる中、細川岳と鈴木卓爾だけの曇りガラスの向こうみたいな悲しい時空がある。真夜中にゲームをするとか、祭りの人混みを探し歩くというような無言の世界だ。

引用させていただいた皆様、有り難うございました

02.雲水さんの今様歌舞伎旅(ときどき寄り道)

第八回:私たちの歌舞伎 ~箕山 雲水

千穐楽が終わったから良いだろう、そう思ってこれを書きはじめた。
5月、6月と、コクーン歌舞伎・まつもと大歌舞伎で上演されていた『夏祭浪花鑑』のことだ。あまりにも素晴らしい歌舞伎だった。そして、素晴らしいチームだった。どこを担当するどの人も、それは主役もベテランも子供も裏も表も関係なく、誰もが自分のことはさておいて、この作品を良いものにしたい、来た人を最大限楽しませたいと真正面から挑んでいる。前半が緊急事態宣言で中止になったのは残念だったが、とにかく幕をあけ、日々不安も尽きぬ中で千穐楽まで完走された皆さまには心からの拍手を送りたい。

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コクーン歌舞伎『三人吉三』から7年。ひさしぶりに勘九郎丈、七之助丈、松也丈の三つ巴での上演だ。“fragile”の注意書きが必要なほどに儚げだったあの頃とはうって変わって、それぞれが舞台上に競い合うようにしっかりと大輪の花を咲かせていた。それも、あれほどの大輪の花が決して殺し合わず、互いに阿吽の呼吸で見事な競演を果たしている(いつのまにか3人が皆“リーダー”になって作品そのものを背負っている!)。この7年の間にそれぞれがいかに大きな責任の中で挑戦を続けてきたのか、いつも以上に感じさせられて胸が熱くなった。ことにこのコロナ禍だ。理不尽も不都合なことも全部飲み込んで、家を背負って歌舞伎をやっているのだ。義父からの嫌がらせに耐えに耐え、目的を遂行しようとする団七(勘九郎)の姿は、困難な中でもなんとか歌舞伎を続けようとしている、舞台の上の人たちの姿にどうしても重なって見える。払っても避けても襲ってくる理不尽。避けきれずに理性を失い、やがて義父殺しに及ぶ団七を、誰が他人事だと笑っていられるのだろうか。罪を犯してしまった団七が血の匂いから逃げようとするところに、濁流のように祭りの男たちがなだれこんでくる。熱気にあふれているようで、どこか空虚。全員がマスクまでして踊り狂い、団七まで巻き込んで外の世界にとびだしていってしまい、やがてまた、日常が戻る…わけはないのだが。そこにあるのは新しい日常で、あの出来事の前には戻ることなどできないのだ。戻れないことをわかっているらしい表情の団七の妻・お梶(七之助)と、何も変わらず近所の子と遊ぶ息子・市松(長三郎)の対比から始まる次の場もあまりに見事だが、ここは書き始めるとあと3倍ほどの量が必要になるので割愛する。

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そして、最後の場面。捕手から逃れて外に出ようとする団七と、義兄弟の契りを結んだ徳兵衛(松也)の前に、まるで今の時代を彷彿とさせるような大量の壁が現れる。しかも、これまでの上演では搬入口をあけて一気に2人が外に走り出していったのに、今回、その扉は押しても引いても開かない。逃げ場がないとわかった2人は顔を見合わせて笑い合い、心を決めたように捕手がいるはずの方向に戻ってくる。逃げ場はないかもしれない。戻った場所には捕手がいるかもしれない。それでも行き先はそこしかないから、迷うことも何もなく客席に向かって走ってくる。生きねば。思わず心の中で叫んでいた。いつのまにか、私は作品の中に生きていた。いつのまにか、作品世界の中に入り込んでいた。役を演じている人たちが、自分の体をまるでトンネルのようにして、スルンと役を通しているからこその出来事。すごいものを観た!ようやくカーテンコールになってそのことに気づいたのも、まあご愛嬌としていただいて。

歌舞伎は難しいとは言われるけれど、現代に生きる私たちとなんら変わらない人たちがそこに生きているんじゃないか。今まで以上に、急にそれが実感となった。多少演出をかえれば今にも通用するなど、どんな魔術師の魔法だろう。いやはや、まだまだ多くの魔法に浸っていたいものだ。のぼせないように気をつけながら。††

03.演技を散歩番外編。短期集中連載「演技を遠足」 ~ pulpo ficcion

1.演技はどこに住まいするのか

大阪府での緊急事態、蔓延防止下は辛かった。ほとんどの映画館、土日は休館。平日のレイトショーも繰り上げ。事実上、会社員は映画館行くなってことです。ツイッターには映画の感想がわんさか流れてくる。まさに生殺し。

といってテレビ観る気にもなれずNetflixで『クイーンズ・ギャンビット』観たりしてました。アニャ・テイラー=ジョイ。美しい。両のまなこが離れている女性ってどうしてこんなに魅力的なのでしょう。けれどドラマとしては非常に非常に非常に薄かった。チェスそれ自体がちっともスリリングじゃない。プロデューサー、シナリオライター、監督は『3月のライオン』を熟読して出直してこいや、ってことです。

丁寧にツイッター検索もしました。ちょっとでも演技に触れた言葉を拾いたくて。わたしのみている範囲も狭いのでしょうが、ないものですね。演技そのものを書く言葉。話題のドラマ、映画、舞台、俳優をキーワードに何度もアプローチしました。そして、ヒットするのはほとんどが、ストーリーへの賛美、俳優その人の魅力、役の心情、そうした言葉でした。

で。考えたわけです。大衆の源像において「演技」はどこにあるのかと。

今月から、短期集中連載でその現場に遠足しましょう。各回1500字程度に納める所存です。

柄本明が、自分は小学校の学芸会の劇に一番感動するのだと、書いていたことがあります。今もそう思っているのかはわかりません。私の記憶だけを手がかりに、彼の言わんとすることを書くと、そこには、「演じ手の意図」というものがないからだ、ということになります。

脚本の言葉を覚えて、発声する。その行為だけがある。

私もこの意見に非常なシンパシーを得ます。もともと棒読みの好きな人間なのです。

学生の頃、珍しくテレビをつけたらスケバン刑事がかかっていました。といってこのシリーズを観たことはなかったのですが、そういうドラマがあることは知っていました。高知が舞台でした。ご当地のスケバン(改めて書くとすごいインパクトある言葉ですね、スケバン)が登場します。戦いなどがあって、終幕で高知の海見ながら、このご当地の方が言うわけです。「うちはこの海で育った、この海が好きやき、この海を守らなあかん思うんよ」(記憶)

唖然とするほどの棒読みでした。絵に描いたような夕方の海の画が背景だったと記憶します。その瞬間、何の前触れもなく涙があふれ出しました。やがて号泣していました。あまりにも紋切り型のセリフ、教科書通りの撮影、そして棒読み。その中からストレートな<故郷への思い>が、ド直球でこちらに投げられたからです。あの<故郷の思い>は登場人物のものでも、俳優のものでも、おそらくシナリオライターのものでもない。ひどく純粋で抽象的な、もはやイデアとでも呼びたくなるような超越的な感情が、その時テレビから立ち上がっていた。

個人的な例でした。しかし、歴史的にも私たちの知る「演技」はそうそう昔からあったわけではありません。

例えばシェークスピア劇。シェークスピアの時代、演劇は昼間に戸外で上演されるのが普通でした。登場人物は棒立ちで観客にまっすぐ向き、ほとんど身体も動かさずセリフを大きな声でしゃべっていたそうです。セリフの抑揚くらいはあったでしょう。けれど「相手のセリフを受け止める」→「内発的に感情が動く」→「自分のセリフが口をつく」というプロセスは、おそらくなかった。言葉数の多い戯曲を相当なスピードで、観客に聞こえる音量で伝えることが、まずは俳優の仕事だったのです。

さて。として、ここに「演技」はあるのでしょうか。意図性を持たない身体に、棒読みのセリフに、真正面を向いてまくし立てる俳優たちに。多分、それはこのマガジンにおいて「演技」と呼ばれているものとは違うありかたです。


ここまで書いて、お能を観ました。金剛流定期能です。『養老』奇跡の水が湧き出る滝を神様が愛でる神能です。ここに始まりの演技がありました。次回はそこから始めます(続く)†††

04.こういう基準で言葉を選んでいます(といくつかのお願い)

舞台、アニメーション、映画、ドラマ、etc。人が<演技>を感じるもの全てを対象としています。編集人が観ている/観ていない、共感できる/共感できないは問うていません。熱い・鋭い・意義深い・好きすぎる、そんなチャームのある言葉を探しています。ほとんどがツイッターからの選択ですが、チラシやミニマガジン、ほっておくと消えてしまいそうな言葉を記録したいという方針です。

引用中のスチルの扱い
引用文中に場面写真などの画像がある場合、直接引かず、文章のみを引用、リンクを張っています。ポスター、チラシや書影の場合は、直接引用しています。

タイトル画像を募集しています。>

自薦他薦関わらず、演技をめぐる言葉を募集しています。>

05.執筆者紹介

箕山 雲水 @tabi_no_soryo

兵庫県出身。音楽と時代劇、落語に浸って子ども時代をすごし、土地柄から宝塚歌劇を経由した結果、ミュージカルと映画とそして歌舞伎が三度の飯より好きな大人に育つ。最近はまった作品はともに歌舞伎座の2021年2月『袖萩祭文』、同3月『熊谷陣屋』、ミュージカルでは少し前になるが『7dolls』、『ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812』、マイブームは日本舞踊。

pulpo ficción @m_homma

「演技と驚き」編集人。若い頃に芝居していたせいで、多分演技への思い入れがけったいな風に育ってしまった。それはそれで仕方ないので精神的圏域を少しでも広げたいとこのマガジンをつくった。今年は20年ぶりに芝居やります。

06.編集後記

雲水さんの連載数を実はどこからか間違えていました。やっちまった。今号から、正しく採番です。各論で魅力的なテーマがあるのに、総論にいってしまう自分の手癖を感じつつ、集中連載、脱線しながら続けます。次号は7/25発行予定です。のんびりお付き合いいただければ

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