閑話休題②「運命の白い糸・前編」

どうも、僕です。二日続けて泥酔状態で綴る北国からのどうでもいい雑文。興味のない方はブラウザバックをお願いします。

運命の赤い糸、よくある言い回しだけど、僕と嫁さんの場合の糸は、白い糸だった。

思い起こすこと二十年近く前、当時行政書士の資格試験に合格した僕は、厳しかった試験勉強の反動で、カトンボみたいなフラフラした生活を送っていた。その時期に当時最悪な親子関係であった父から一つのミッションが下された。

曰わく、「お父さんの大事な友人が北海道でうどん屋さんを営んでいるが、トラブルがあって店が大変らしい。手伝ってこい。」という事だった。

当時親に対する反発心で、削りすぎた鉛筆みたいに尖りに尖っていた僕は、家から離れたい一心でこの申し出を受け、北海道に飛ぶ事となり、これまでの人生で一度も親元から離れた事のない身で、おっかなびっくり遠い北の地へ単身降り立った。

季節は1月。最も雪で覆われる時季の北の大地で僕を待っていたのは、どこまでも白銀の雪景色。広島県では比較的雪の降る方の甲奴町出身の僕は、冬場の北海道の積雪を見て驚いた事を記憶している。歩道が雪で見えないじゃん。

空港からそのうどん屋さんまで、二十代になったばかりで慣れないタクシーで移動した後、営業中でお客さんがまだいる店内に勇気がなくて入れなかった。店の前で店内の様子を窺うこと小一時間。ようやく客足が絶えた店内に思い切って飛び込んだ。

「広島から来た福品の息子です。親父に言われて手伝いに来ました!」

そうやって勇気を振り絞って乱入した僕を、Mの大将と従業員さんたちは快く受け入れてくれた。最初の日にまだ何もしておらず、緊張している僕に大将が出してくれたうどんは、人生で三本の指に入る美味しいうどんだった。ちなみに他の二本指も同じく大将のうどんです。

大将は僕が来ることの連絡を事前に受けていたらしく、僕が寝泊まりする部屋を準備してくれていた。お店からしばらく離れた場所に住居を定め、およそ2カ月の僕の北海道暮らしは始まった。

朝は住まいから地下鉄とバスを乗り継ぎ、午前中の仕込みから始まる。当時若かった僕は、大将や皆さんから可愛がられて、お店で出すおにぎり用のシャケの残り等で開店前のお店で朝ご飯をもりもり食べていました。思い返せば人生で一番炭水化物を採っていた時期かもしれない。あの時のシャケとご飯の取り合わせを超える米の味を、僕はまだ知らない。

大将は手伝い始めたばかりの僕に、惜しみなくうどん作りのノウハウを教えてくれた。粉の計量、塩と水の配合、混ぜ合わせた後の生地の踏み込み、生地を寝かせる時間、生地の切り分け、生地の丸め方、伸ばし、麺切り、麺の茹で時間、水での締め方、出汁の取り方。覚えることはいくらでもあった。

最初は粉と水の計量や、生地の踏み込み等が僕の主な仕事になった。今思い返せばうどん作りの出来を決める、とても大事なパートだ。何故当時の大将が入ったばかりで何も出来ない僕にこんな大事な作業を任せてくれたのかが不思議だ。

当日の気温や湿度、ちょっとした条件で生地の出来は変わってくる。大将は慣れない僕が多少チョンボした生地でも、丸める手数を調整したりして、いつも均一の麺が出来る様な技術を持っていた。

そんな大将の仕事を見ながら、僕も少しずつ生地作りのコツを覚えはじめ、お店での自分の役割もだんだん定まってきた。開店前や空いた時間に生地作りの準備をし、開店後はお客さんの注文を聞いては丼の用意をする、そんなパートが僕の居場所でした。合間にテーブルを拭いたり、飲料水の補充をしたり、店が混んでいる時は気を抜く暇はなかった。

当時北海道では大将の店の様なセルフのうどん屋さんの黎明期であり、雑誌等でお店が取り上げられる事も多く、土日ともなると、営業中は常に数十人が並ぶ程の盛況ぶりだった。そうなると休憩する間もなく、空腹時には大将が買ってくれたコーヒーシュガーをこっそりと口に入れ、喉が乾けばお客さんに見えない角度で水を飲んだりしてうどん道に邁進していった。

もともと、中学卒業する際には調理師にもなりたかった僕は、数週間もするとすっかりうどん屋さんの従業員となっていた。自分が計り、踏み込んだ麺を、美味しい美味しいと言いながらお客さんが食べてくれる。こんな素敵な商売がこの世にあったのか。それまでの人生からは想像もつかない世界がそこにあった。

1ヶ月が過ぎる頃には生地の切り分けから丸め方までを覚え、大将が生地を伸ばす様子を横で見て、たまに伸ばしをやらせてもらえるようになった。毎日少しずつ出来る事が増えていく。余ったうどんは持って帰って食べ放題。とても楽しい時間が流れていった。大将も何故か僕を気に入ってくれて、あれこれ世話を焼いてくれた。当時下戸だった僕を居酒屋に連れて行って、一杯でダウンしてしまう僕を残念そうに眺めていた大将の顔が今でも目に浮かぶ。

そして約束の2カ月が経つ頃、僕は麺切りもやらせてもらえた。お客さんから見えるガラス張りの麺打ちスペースで、リズムに乗って麺を切る。お客さんにじっと見られながらの麺切りは緊張したけど、均一に麺が仕上がった時はとても嬉しかった。この他にも出汁の取り方や買い出しに付いていったり、うどん作りに関するあれこれを学んだ。

そして僕が帰る日となった。この頃には僕にとっての大将は、当時不仲だった実父よりも近しい間柄となっていた。別れの際は、とても寂しかった。でも、また会える時が来ると信じて、僕は再び広島へと帰り着いた。

たった2カ月とは言え、とても濃い時間を過ごさせてもらった喜びと悲しみは、地元の同級生にスーツ姿で並んで広島空港まで出迎えに来てもらう事で紛らわせた。当時のみんな、ありがとう。

ここからが嫁さんとの出会いの話となりますが、内部電源が活動限界のため、本日はここまでとします。再見!

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