閑話休題⑤「僕がピーターパンだった頃の話」

こんばんは。拙者、すり鉢ラーメン侍と申す。今夜は某青年部の今年度最後の役員会でお隣のS市へ行ってきた。帰りにみんなでラーメン食べようぜ!ってなったのでS市役所前のラーメン屋でメニュー見てたら、壁に「大盛出来ます」と、マックス3玉まで頼める張り紙を発見したので、迷わず3玉いきました。誰かが言ってた「何故登るのか。そこに山があるから。」の精神だ。

周りのみんなのラーメン出揃って、食べ始めてるのに、僕が頼んだヤツ遅いな~、と思ってたら↑の右側のラーメンがやってきた。すり鉢じゃん。出された物は必ず最後まで食べる育ちの良さとラーメン自体の美味しさで問題なく食べきりました。

ここ最近先日の北海道での暴飲や今夜のすり鉢ラーメンの様な真似を繰り返しているのに体重が落ちている。数ヶ月ほど前から血糖値の値が結構危ないらしく、甲奴診療所のS先生から処方してもらった不思議な薬のおかげみたいだ。オシッコの中に体の糖分を排出するらしいけど、確かに何にもしてないのに1ヶ月ちょっとで五キロ近く体重が落ちている。なにこれ、怖い。

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僕がピーターパンだった頃の話をしよう。二十代半ば頃から、自分に特殊な才能があることに気がついた。子どもが寄ってくるのだ。近所の知り合いの子どもたちが何故かよく懐く。

僕は幼少期から体が大きく、同世代で自分より大きな人と関わったことがない。それに加えて落ち着きがない、なんて言葉じゃ片付かないぐらいの問題児だった。どうも、クソガキさん。みたいな。親が共働きだったり、祖父母が構ってくれなかった。それもあって幼少期に一緒に遊んでくれる大人というものに触れた事があまりない人生だった。

今になってなんとなく自己分析してみると、僕は自分が子どもだった頃に欲しかった、一緒に遊んでくれる大人に自らがなる事で、幼少期にぽっかり空いた心の隙間を埋めようとしていたのかもしれない。

近所の子どもたちとはとにかくよく遊んだ。毎週末になると、色んな子どもと色んな遊びをした。テレビゲーム、ザリガニ釣り、野球、巨大シャボン玉、スライム作り、ドッジボール、バトミントン、縄跳び、缶けり、かくれんぼ、川遊び、雪だるま。ありとあらゆる遊びをした。

毎週の様に色んな所に連れて行ってくれて、小腹が空けば好きなおやつを買ってくれ、どんな遊びでも本気で付き合ってくれる体の大きな青年。こんな便利な巨大生物が近くに住んでいれば子どもたちは狂うだろう。甲奴町の人なら、この頃の僕が土日の昼になると、10人ぐらいの子どもを連れてウロウロしていたのを見たことがあるかもしれない。

事実、あまりに僕の影響力が強すぎて地元の小学校の先生から「あなた、いったい何なんですか。」という問い合わせがあったり、あまり面識のない地元の人たちからお礼を言われることがあった。この時、地元の子どもたちにとっての僕は、万能の友人であったり、パンダであったり、優しい恐竜であったり、ピーターパンであったり、ハーメルンの笛吹男だったりした。

そして、この頃から家族との仲は最悪になっていった。北海道の大将のところへ行っていた頃からそうだけど、父に対する反発、母へ対する不信感、姉に対する無理解。僕は家族の誰とも話さない日が増えていった。

それに反比例するように、子どもたちの相手や、地域行事への協力等へ空いた時間をつぎ込んでいた。体はどんどん忙しくなり、心はだんだん独りぼっちだと感じる事が多くなっていった。飲めなかった酒の量も少しずつ増えていった。

心の中のビンに、だんだんと黒い澱が溜まっていくようだった。この時の僕は、自分が本当に餓えていたものが何なのか、まだ分かっていなかった。

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