【忙しい人向け】ハムレット詳細まとめ③
これを読んでからすすんでね
尼寺へいけの真意
さて、ハムレットこと磯野カツオ氏がうきえさんに向けて吐き捨てた【尼寺へいけ】という台詞には、どういう意味が込められているのかという話をしたいと思う。
そもそも根本の話をすると、私は『尼寺』という翻訳が誤訳じゃないか、と思ったりもする。だって普通におかしいじゃないか。
尼寺=nunney
の訳なんだけど、『いやなんでいきなり仏教やねーーーーん!』という神速の突っ込みを入れたくなってくる。
普通にここの訳は修道院じゃないのか…??
では、なぜカツオはうきえに修道院にいけ、と言ったのだろう。
ところで。
このときのカツオは、そもそも隠れている海平といささか先生に気づいていたのだろうか??
カツオを待ち伏せしているうきえの背後で盗み見ている海平といささか先生。
その存在に気づいているかどうかで、言葉の意味合いは大きくかわってくる。
カツオとうきえとのやりとりを見て、海平といささか先生の二人はカツオがほんとに狂人となっているかを確かめようとしている。
2人に見せつけるなら、ポーズをとることは必ず必要である。
気づいているのかいないのかーーーとにかく、カツオはうきえに対してこう吐き捨てる。
『お前のことなど、最初から愛していなかった』
と。俺も嘘つきだ、世界は嘘に満ちている。愛するものと結ばれ、お前も罪人を産み落としたいのか?
尼寺へいけ
というのである。
もしうきえの背後の存在に気づいているとしたら、カツオは自分の狂人ぶりを見せつけるため、あえてうきえを傷つけるようなことをいっている。
気づいていなかったとしたら、カツオはは本心から、うきえ本人をつきはなそうとしている。
さて、答えはどっちだろう。
私はずっと、やっぱり気づいてるんじゃないかなぁ?と思っている。(気づいてないという説が濃厚だが)
カツオははうきえを愛してやることがもうできないのである。ゆえにここで優しい言葉をかけてやることもできないし、あえてうきえが傷つく言葉を選んでいる様子が、まぁ、わたしには『愛』に見える。
カツオは生まれてきたことを後悔している。
すでに母に対する憎しみが生まれてきている中、己すらも『罪人の子供』『罪人』という意識がある。
そんななか、愛するうきえに『母になる罪』をおかしてほしくない。
無論、誰のものにもなってほしくない、という思いもあるだろう。カツオはうきえを、愛しているのだ。
この世の全ての罪から隔絶された環境で、生きていてほしい。一緒にはなれないが、俺を愛していてほしい。その想いが、『尼寺へいけ』という台詞に繋がるのだ。
というのが、まぁ一説である。
私はぶっちゃけ、これは違う気がする。
なぜかというと、台詞的にカツオはよくしらんがめちゃくちゃキレているのである。
饒舌な人間は大抵キレているから、ここから怒濤の台詞を畳み掛けるカツオがハイパーぶちギレモードであることは間違いないら、
これは多分超解釈なんだけど、
ハムレットは覗き見する海平といささか先生に気づいていて、手を貸しているうきえにかなりぶちギレていると思う。
そもそも、ラブレター突き返すわみんなにカツオの恋文を読ませるわ、この女の子やりすぎである。
そして当時の修道院といえば、表向きは経験な未婚女性のあつまりであるけれど、隠れて売春が行われていた場所である。
それを加味すると、この台詞は
『だれとも結婚できない場所で、娼婦になれ』
と言っているのである。
そりゃ、カツオもあくまでもポエマーなので、うきえに対する愛はまだあるだろう。
カツオがバンドマンだったらうきえは100%歌詞にされているし、バンドマンは過去の女を忘れない。
つまり、やっぱり好きだけど憎い、くそぉ~!!
という自暴自棄的なところだと私はおもっている。
(これはあくまでも私の考えで、大衆に支持されるものでありません。みんなはもっと切ないととらえているようです)
みんなこのシーンはみると『じーん』『せつない…』みたいになるらしいのだが、
私はまじで『スカッ』とする。
最高のエンターテイメントである。
かわいいからといって何でも許されるわけではない。
やっていいことと悪いことがある。
それを、うきえが人生で初めて感じた瞬間ではないかと思うのである。
(たぶん違う)
つづく