僕は、誰からも必要とされていない?自分を見失う時
毎日リト日記、1/4の本日は第4章。
3章と同じく、行く先で役に立たない、居てはダメと言われるリト。
心が痛くなったのは、
誰にも役にも立てなくて、誰からも必要とされていないんだと思うと急に寂しくなりました。けれど、ボクのことを待っている人がきっといるよと自分の心に言い聞かせるのでした。
というシーン。
自分が誰からも必要とされていない
と思って絶望することって。生きてたら、誰にでもあるのではないかと思う。
ワシの両親は、ワシが5歳の時に離婚している。父親が他所に家庭を作って捨ててった。母親に聞いた話だが、離婚の際、ワシの姉の親権を争って裁判をしたとのこと。「だいすけはいらない」と父親は言ったらしい。
親に不要と思われるって、やっぱシンプルに悲しいこと。姉ちゃんは要るって、なんかわからんけど、嫉妬する。でも、小さい頃から思っていたのは、血が繋がっていても、いない方が良い人もいる。逆に愛してくれる人なら、血の繋がりなんて関係無いとも思う。
ワシは母親からは、熱心なクリスチャンになることのみ期待された。勉強出来ず、運動も普通、音楽も美術も才能無く、趣味も特に無かったワシ。
そもそも、近くに目指したい存在、見本が無かったから何に対しても本気になれなかった
小学校高学年くらいからかな、クリスチャンの集まりに行くのを拒んだ。拒み続けると、母親も諦めた。クリスチャンを辞めたら育ててもらえなくなるかもっていう恐怖感があったが、そんなことはなくてホッとしたのを覚えている。
中学高校と取り柄無く過ごし、誰かから必要とされている感覚は無かった。
いや、唯一強烈に覚えていること。勉強出来ない自分が、チャリで10分ほどで通える偏差値40ほどの高校に受かったことを母に伝えた時、抱きしめて喜んでくれた。その時は良い歳なので、少し戸惑った気持ちもあったが、普段おっとり落ち着いた母親が感情をあらわにしたので、なんか嬉しい気持ちもあった。
高校では、野球部に入るも2ヶ月で挫折し、バレーボール部に入って良い感じになった頃に、急性腸炎で倒れる。直ぐに病院行ってれば早く治ったようなのだが、普段病院や薬を嫌がっていたオカンなので、そんな気は毛頭無し。しかし40度の熱、嘔吐と下痢。病院行った頃には入院した方が良かったけど、もうヤマ超えてるって言われた。体力激落ちして、バレーボール部からパソコン部へ転部。進学クラスに行くが、Fラン高なので、進学先に大学行く人も少なく、専門や短大など。受験の範囲を終えてくれないので、内職や予備校通ったりしてたが、教師からは厳しく邪魔された。二浪の末、早稲田に合格し、入学手続きの書類もらうために高校へ行く。創立25年ほどで早稲田に入ったのは2人目とのことで、教師たちからはヒーロー扱いされ、担任だった教師は偉ぶってた。うちが貧乏なのに、バイトを認めてくれなかった教師が「私が1年の時に福島の担任だったんですよー」とか言ってて、殺意を覚えた。金が無いのに助けてもらえず、大学行きたいのに、勉強の邪魔をしてきた教師と学校。ワシは、孤立していた。
大学行く金が無いからどうしようかと悩んでいた時に知ったのが、「新聞奨学生」の制度。昔のワシの記事を読んでいただいたらわかるのだが、学費を餌にした奴隷的な制度。
東京、大阪の日経・読売・朝日・毎日の新聞奨学会に応募し、浪人が決まったワシに全奨学会から勧誘の電話が鳴り響いた。過酷な仕事で勉強なんて出来ない環境だから辞める人も多いので、毎年の補充が配達制度を支える肝なのだ。奨学生の勧誘にあって初めて
僕は必要とされているんだ
と感じた18歳の、だいすけ青年。真面目にやるなら、誰でも良かったんだけどね、相手もワシのことなんて何も知らなかったわけだし。
大学に合格した時は、本当に嬉しかった。大学という制度を全くわかってなかったから、勉強ができるだけで大学様がワシを選んでくださるって思ってなかった。
ワシは大学生の時、読者モデルをしてた。まぁ、イケメンだったと思う。そして大学名の看板もあったから、モテ期到来だった。恋愛に溺れたり、バイトに明け暮れたりしたが、かけがいない存在に出会うことは、ほぼ無かった。自分が本当に欲しいものや価値観が定まらなく、ブレブレだった。
サラリーマンになってからは、給料が上がったり、要職に付いたりすると、必要とされてる感を感じることが出来た。やりがいが、「必要とされていること、それに応えること」だったのだが、会社や周りのニーズばかり見て、自分が出来ること・やりたいことを尊重できていなかった。
誰かから必要とされることは大事だが、それが利益メリットをみて、ただ利用しようとしているだけだと虚しく痛い目にあう。見極める力とは、自分の価値観とニーズを照らし合わせることなのかな。
40歳越えて、生きる場所や働き方を選んで、自分の価値観が認識できてそれに沿って生きている。そうすると、必要としてくる人と出会う力も身につき、質も上がる。
後の章にも繋がるのだが、自分の心の声を聴いて、納得した選択して生きてると、フローな状態で、必要としてくれる人とガッチリ噛み合うんだな。