千葉県稲毛区ー作草部神社
千葉公園を後にして
モノレールでひと駅先の
「作草部駅」から徒歩10分未満に
ある作草部神社です
以前より「作草部」という
地名に興味がありました
「さくさべ」と読みます
いかにも古からの地名…
決して「草むしり部」では
ないのです笑
調べてみると
承平年間に編纂された
類聚和名抄という書物に
「下総国千葉郡三枝郷」という
記載があるということです
顕宗天皇に仕えた臣下に
三枝部という名があるそうです
この辺りは古墳や貝塚が
たくさん点在しています
古代より三枝部または福草部
という職能部民が住みついたと
言われており
三枝・福草(さきくさべ)が
時代を経て作草部(さくさべ)と
変化していったようです
また三枝は紙の原料となる
ミツマタを指すという説も
紙の原料を生産していた
集団だったのでしょうか?
勝手な想像をしながら
神社に参拝
出羽三山参拝記念の石碑
作草部神社鳥居
小さいながらも整然とした拝殿
神社の由緒書き
狛犬
明治3年12月奉納と
刻まれていました
忠魂碑
陸軍少将 宇垣一成筆
千葉公園もですが作草部周辺は
陸軍関係の施設が多く建てられた地域
現在も戦争遺跡が残っているそうです
立派な樹木
2つの樹木が仲良く
抱き合っているように
見えますね✨
小祠や庚申塔などが並んでいます
境内の樹木は適度な間隔があって
下草も刈られて整然としています
遊具もあるので子供たちが
遊んでいました
樹木の根元に何やら器具…
参拝中、数人のおじさま達が
ゲートボールのような遊びに
興じていらっしゃいました
それかな?( ^ω^)
楽しそうでいいですね♪
古代より人々が住まう
歴史古い地域ですから
この神社が村の鎮守様として
地域の皆さんに大切に
お祀りされています
明治期に周辺の神様をこちらへ
合祀したと由緒書きに記載
由緒書きに慶応3年に庁宣をもって
作草部神社と奉称とあり
その以前は貴布禰大明神と
言われたようです
境内の樹木を見ていると
昔からここに神社があった
感じがしないのですが
元々どこかに鎮座されていた
神社をこちらへ遷座したのかなぁと
勝手な想像です…
また、江戸時代の作草部は
旗本中山勘解由の領地という
中山勘解由といえば
後北条氏に仕え、
八王子城で大奮戦し
果てた中山勘解由家範を
思い起こします
旗本中山勘解由さんは
その家範のひ孫にあたる
直守の血筋のようです(多分…)
直守は盗賊改めを任じられ
「鬼勘解由」と大いに
恐れられたとか…
巡り歩きしていると
色々な歴史の繋がりを発見して
面白いですね
神社脇にあるという
馬頭観音を見忘れたのが残念…🌿
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