大洗町_磯浜古墳群と磯浜海防陣屋跡
茨城県大洗町には海辺近くに6基の
古墳が集まっている場所があり
磯浜古墳群と呼ばれています
令和2年3月に国指定史跡に
その古墳群のひとつ
日下ヶ塚古墳(常陸鏡塚古墳)です
磯浜古墳群の中で最大の前方後円墳
4000点以上もの副葬品は埋葬者の
権力の大きさを想像できますね
水戸藩は海防目的で文政年間に
遠見番所を日下ヶ塚古墳に築き
天保年間に徳川斉昭が海防強化のため
海防陣屋を設置したという
そのため古墳の前方部分が
削られ改変しています
異国船を監視・砲撃のための土壇
登り口は画像からではなく
脇の木段から上がりましょう
土壇からの海の景色
長閑で気持ち良い眺めです
土塁の斜面に咲いていた
ホタルブクロとノアザミ
平場にたくさん咲いていた
たんぽぽ
まるで城址を歩いている
感じがします
異国船監視・砲撃のために
設置された海防陣屋ですが
本来の目的ではなく
水戸藩内乱に使用されることに
なってしまった
水戸藩支藩の宍戸藩主松平頼徳は
水戸藩主の名代として内乱鎮圧を
命じられ水戸へ向かいました
水戸城は諸生党が占拠しており
頼徳は城の明け渡し交渉をしたが
諸生党は拒否、戦闘になってしまった
頼徳勢は那珂湊へ退きここでも
諸生党との争いしながらも
磯浜陣屋に入った
幾度かの諸生党との戦闘で
大洗と那珂湊は激戦地となった
水戸城明け渡し交渉は失敗、
天狗党と認識された頼徳は
幕府軍から攻撃を受けるように
頼徳は降伏するも弁明の機会も
与えられず切腹を命じられ宍戸藩は
お取り潰し…なんてこと💧
立派な古墳の石碑に対して
海防陣屋跡のくたびれた案内板
悲惨な負の歴史を表にしたくない…
そんな思いあるのかもと
勝手な想像をしながら史跡を
あとにしました🌿
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