兄(母親の愛を一心にうける息子)を持つ妹の悲劇について
私には6歳上の兄がいる。
今はそう年齢差も感じないが、幼い頃は年齢差をかなり感じていた。
だって私が幼稚園で兄貴はいよいよ花の中学生って感じだったのだから。
周りからは「可愛がられていた」と言われても本人は覚えていない。
それどころか、兄との思い出はろくなもんがない!
ある日「お前、背中に桜の紋があるん知ってるか?」と言われ、よ〜く見たらあるじゃないですか!桜の花びらの形をしたケロイド痕。。。
母に聞くと、ふざけ合って兄が私の背中にドライアイスを入れて押したときにできたやけどの痕らしい。
またある時、ちまたではホラー映画の「オーメン」が流行っていた。
「666って頭に書いてあったら悪魔の子やぞ!」って私に言いだした兄。
いきなり「見てみろ!お前は悪魔の子や!」と私を鏡の前につれていき、髪をかきあげ
「ほら!みてみろ!書いてある!」
うわ〜!!!!ほんまや666って書いてある!!!
まだ小学生だった私はショックで泣いて母に訴えた。
その瞬間兄が母からドヤサレた。
「あんた!何してんの!妹の頭に油性ペンでそんなもん書いたら消せへんやんか!」
お前が書いたんか〜い!!!
ほんまにろくなことせん兄貴や。
さらに自転車に二人乗りしてて兄がちょけて坂道で思いっきり転倒したり、
中型バイクに乗せてもらって、出発する瞬間にタイヤに足が挟まってもうちょっとで大惨事になるところだったり、細い路地を猛スピードの車で通過させられたり、兄貴が高校で呼び出しをくらうと母と一緒に職員室に連れて行かれたりした。
私は母にこういう思いはさせないぞ!とこのとき誓った。
私はまだ小学生になってない頃、兄と二人、家の裏庭に建てた「ミゼットハウス」というプレハブの小屋を子供部屋として与えられたいた。まぁ、私にとってはほぼ寝るだけの場所だった。
兄は二段ベッドの上に寝ていたが、寝相が悪く、時々上から落ちてくるが、そのまま寝てるのが怖かったのを覚えている。
私は母恋しくて、ベッドに母と一緒に写っている写真と、お気に入りの「毛布ちゃん」(ずっと使っていた毛布)とその毛布の糸を引っ張りだしてはくるくる巻いて小さいボールみたいにしてつくった「クルクルちゃん」が私には必須アイテムだった。
それを私に無断でバラバラに切り刻んで捨てたのは兄だった。「今やめさせないと修学旅行にも持って行きよるかもしれん!」といういかにも正道な言い分に反抗できず泣き寝入りした。
他にも私のものを勝手に使われたり、ためていたお金もこっそり使われていたり、散々だった。
散々といえば、兄は中学生のとき、モテ期だったようで、兄が卒業した中学に私が中学したとき、兄を知る先生が残っていて「お前あいつの妹か!お前の兄貴が登校したら、黒山の人だかりになってたんやぞ〜!すごい人気やったぞ」と言われたが、嫌な思い出が蘇った。
そういえば、バレンタインデーには家の前に行列ができていた。
しかし机の上に山積みになったチョコを一枚たりともくれなかった。
それどころか「お兄ちゃんの写真くれたらこれあげる!」とチョコを差し出され、写真くらいあげちゃう!ってなるでしょうが~!まんまとその手に乗って、女の子たちに写真をあげたことを知られたら「勝手なことすんなや!」と叩かれたのだった。
さらに、登校する前のテレビチャンネル権争いで、高校生になっていた兄は「キャシャーン」見たさに喧嘩になり、おもいっきり叩かれた。
2度もぶった。親父にもぶたれたことないのにぃ!
そんな兄だったが、ありがたかったこともある。それはギターを教えてくれたことと、洋楽ロック、ファンクを聞いていたのでものすごく影響を受けたことだ。
小学6年生のときはNHKのヤングミュージックショーでKISSを見てハマり、一緒にコンサートに行きたい!と母に懇願したが「化けもんに食われるで」と行かせてもらえなかった。
でも、あれからロック好きになって、音楽的にはものすごい影響を受けた。
それだけは心から感謝している。
姉妹とは違い、一緒に買い物にいくとか、恋バナをすることもない兄妹の微妙な関係。
破天荒な兄を見て育っているだけに、変にしっかりモノになってしまった気がする。
そうこうするうちに兄が結婚して家から居なくなった。
やっと私の天下だ!
と思っていた。
しかし、兄(長男)と言う存在は、親の側に居なくても影響力は大きい。
というのも、私は現在、母と同じマンションの上下階で暮らしている。兄は車で二時間くらいかかる別の都市に住んでいる。
ゆえに母の面倒を実際に見ているのは私だ。
このマンションに引っ越す前に住んでいた一軒家を売る時にも手続きや引っ越し準備、いろいろな手配をし親の家の片付けた。
ソレを皮切りに、夜中に「息ができない!」と言われ救急車を呼んだり、体調が悪いから一緒に寝てくれといわれ寝るのも私やうちの娘たちだ。
「テレビがつかなくなった」「電球が切れた」「便座が暖まらない」と呼び出されたり、デイサービスの手続きなども全て私がやっている。
父が亡くなったときも、葬式から墓じまいまでも手配は全て私がやった。
まぁ、私はお金がないから実質動く。兄は動けない分お金を出す。なんとかお互Win-Winってことにしておくしかなかろう。
しかし、普段なにもしていない兄の文句を私に言う母なのに、ちょっと兄から電話がかかってきただけで態度が豹変。
「やっぱり優しいわ〜あのこは、あんたみたいにきつい事いわへんし」とか言われるとムッとなる。
兄貴が母にお小遣いをあげたりすると「お金くれたんやで〜」とものすごく嬉しそうに言われるが、私は毎月母の携帯代金を支払っている。けどそれは全く忘れさられている。
いつも側で面倒見ていてる私よりも、遠くで役にたたないけど、お金は出してくれる兄貴のほうが母にはありがたいらしい。
なんたる現実、世の中金ずら〜!!なのか?と正直、時々落ち込むこともある。。。
私には娘しかいないから、母親にとっての「息子」への思い入れみたなものは良くわからない。
周りの友達でも「息子」となるとなにか気持ちが違う感じがする。うまく表現できないが、母親にとって「息子」と「娘」では何かが違う気がしてならない。
どうしても母と娘は「同性」だから横並びになってしまうのかもしれないな。
私は自分の子供が娘でよかったと思っている。大きくなると本当に役にたつ(そこか!)
息子は嫁の言いなりになるし、結局は嫁の実家のほうに傾く。
まぁ、兄をみていると、嫁姑の間にはいってうまくやっているとは思うけど、いざとなると嫁の味方になるのはしょうがない。わかっていても親としてはやはり寂しいだろうな。
それに娘たちが姉妹仲良くショッピングに行ったり会話する姿をみると「姉妹っていいな」とうらやましく感じる。私はほぼ一人っ子みたいなもんだったから。
まぁ、今思えば兄にとっても、「甘えない、生意気な妹」は可愛くなかったかもしれないな。次兄に会うときは、おいしいお酒を一緒に飲んでみるかな。