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旦那飯は韓国料理 ~番外編~ツナハンバーグと誕生日のはなし
長女の誕生日に、彼女が、大好きな旦那飯メニューの「ツナハンバーグ」を作ってくれた。
長女は早産で、心臓に穴があいていたり、他にも持病を持って産まれた。産んですぐに引き離され、NICUに入院した。
同じ病室にいた人から、「病気やハンディのある子は親を選んで産まれてきたのよ」と言われたことがあった。
わざわざ私を選んでくれなくても良かったのに。
弱冠26歳だった私には、ただただ毎日が大変だった。
病気のせいで、排便するたびお尻を洗い、ドライヤーで乾かして薬を塗ってまた乾かしての繰り返し。
ほんの50mlもない栄養薬を二時間かかって飲ませる。
飲むとチアノーゼが出て唇が紫になる。いつ死んでしまうかもわからない。
片手の手のひらに乗る2165gの小さな身体、その心臓に5ミリの穴があればチアノーゼにもなるはずだ。なんでうちの子が?そう思う自分がいた。
病院は完全介護だったから我が子を置いて自分だけ家に帰って翌日また病院へ。
でもゆっくり眠ることはできず。それは、病気が治って母乳が飲めるようになった時のために、母乳が枯れないように、夜中でも起きて搾乳を続け、冷凍しては病院に運んでいたからだ。
入院当初、娘は母乳を飲めず。もったいないからと、看護師さんから他の未熟児さんにあげてほしいと頼まれ、あげることになった。
もちろん、相手のお母さんも承諾すみだ。
こんなところで、お役にたてたことは、いい経験になり、励みにもなった。
ひとは誰かのためには頑張れるから。
そんな生活が、約半年ほど続き、手術を済ませ、退院した方が不安だった。
全てを自分で判断しなければならないからだ。
お母さんとはどんなものなのか。
私は初めてのお母さんだ。
何もわかっていない。
でも子供がいるだけで「お母さん」認定されてしまうプレッシャー。
幸い母がサポートしてくれたから何とか切り抜けられたけれど、独りだったら無理だったかもしれない。
今みたいにネット情報も少なく、近所の公園で会うママ友の生情報や、発刊されたばかりの育児ママ雑誌「たまごクラブひよこクラブ」しかない時代。
育児を楽しむ余裕もなかった。
三歳過ぎた長女はまた本格的な手術が待っていた。
ある日病院に行くと、柵の高いベビーベッドから大人のベッドに変わっていた。
手術前だからかな?と思っていたら看護師さんがきて
「昨日脱走したんでベッドを変えたんですよ(笑)」と言われた。
「柵を越えたんですか?」
と聞いたら
「スゴいんですよ❗️私たちに固い辞典を運ばせて、見た後にそれを階段式に並べて柵を越えてたんです❗️怪我なくて良かったですが、危ないから低いベッドにしました」
とのことだった。
思わず笑った。寂しくて私に会いに行きたかったらしい。
こんなダメ母でも好きだといってくれる我が子。こういう気持ちは母親冥利につきる。
しかし、これは危険なことだと教えることのほうが先だ。
余裕のない私は、「危ないからしたらあかんで❗️」としか言えなかったが、本当は
「お母さんに会いたかったんやな、側に居れなくてごめんね」と気持ちをくんで、抱きしめてから、危ないからと教えていたら、子供の気持ちはかなり違っていたと思う。
その結果、人として未成熟な余裕のない子育てをしてしまうと、自信が持てない子供に育ててしまうことを、今長女を見て実感している。
彼女からも、「誉められた覚えがない」とか、「常にまず肯定されることがなかったから自信なんか持てるわけないやん」と言われたこともあった。
それにくらべて、一度経験しているだけあって、次女のときは、少しだけマシだった気がする。
なにより、次女はおばあちゃんに預けていることが多かった。知らぬまにおしめがとれてパンツをはいていた。
この子にも寂しい思いをさせたけど、おばあちゃんに育てられたからか、心優しい娘に育ってくれた。育ててくれた母に感謝だ。
1歳半しか離れていない娘たちは、イタズラはするし、言うことはきかないし、目が離せなかった。
自分のことは後回しで何もできない。
毎日が子供のために生きているみたいだった。
お母さんって一体なに?
悩みながらも、
育児は育自 なんだと気づいた。
あんなにワガママだった自分が、あんなに子供嫌いだった自分が、
お母さんになることで、我慢したり許せたりするようになっていたのだ。
子育てをして、自分より大事な
ものの存在を知った。
こうして子供から教わることも沢山ある。
親は偉いわけではない。
親も初めての親だから失敗の連続だ、その失敗から学ぶことがほとんどだった。
だけど、おかげで「痛み」を知ることができた。
「痛み」を知る人は優しく強くなれる。
今娘たはちは、私が彼女らを生み育てていた年齢になった。
全く結婚や出産の兆しは見えない(笑)
うまれきてくれて、ありがとう
後悔しない人生を歩んでほしい。悪いことも、ポジティブにとらえて、前を向いて前進していってほしいと願う日々だ。
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