統一教会と文鮮明についての関連情報です❣️🐸🍿
ネット上に、統一教会に関する記事がありましたのでご紹介します。
👇
この記事、消去されたら読めなくなってしまうので、念のために記事内容を以下に転載しておきます。
「初夜は女性が上の体位と定められている」…統一教会の驚きの合同結婚式のルール。こんな決まりがなぜ必要なのか
政治との癒着、霊感商法など、とてもまともな宗教とは言い難い統一教会。中でも奇妙に見える合同結婚式の仕組みを、統一教会の経典から読み解く。『日本のカルトと自民党 政教分離を問い直す』から一部抜粋・再編集してお届けする。
合同結婚式へ
統一教会の教えは、性に焦点をあて、人びとの罪と堕落を厳しく非難する。現代社会の性の乱れに嫌悪感を持つ若者、それでも性に関心を持つ若者は、縮み上がる。
本人が努力して清く正しくふるまっているとしても、十分でない。遺伝のように、エバとアダムの罪の堕落が、血統をたどって自分の身体に流れ込んでいるのだから。
そこで、未婚の男女は統一教会の厳しい監視下に置かれる。恋愛によって伴侶を見つけることができなくなる。それは汚れである。そこで文鮮明のアレンジによって決められた相手と、文鮮明夫妻の祝福を受けて、結婚することになる。これが、合同結婚式だ。
合同結婚式は、マスメディアに、興味本位で取材され取り上げられた。しかしこれは、統一教会の教義から導かれる、必然的な儀式である。合同結婚式が問題なのではなく、その前提が問題である。
ソンタークの『文鮮明と統一教会』
堕落論は、『原理講論』のなかでもっとも古く書かれた部分だろう。それは、文鮮明が活動を開始した当時の状況から推測できる。
フレデリック・ソンタークの『文鮮明と統一教会』(アビンドン社)という英語の本がある。わりに早い時期の統一教会についてのルポで、文鮮明へのインタヴューも載っている。
統一教会の全面協力で実現した企画で、ソンタークは韓国語も日本語もできないので、かなり割り引く必要があるが、ごく早い時期の統一教会の様子や珍しい当時の写真がたくさん紹介されているのがよい点だ。
文鮮明は1936年に最初の啓示体験をしてから、9年間にもわたる多くの祈りと研究を経て、のちに『原理講論』(統一教会の経典)で明かされることになる「原理」にたどり着いた。
平壌(彼によれば東方のエルサレム)に移って1946年6月から宣教を始めた。初期の信徒によると、手応えはなく貧しかった。そのうち布教のかどでソ連軍に逮捕され、労働キャンプに送られた。信徒がキャンプまで遠い道を歩いて会いに行った。キャンプは凍える寒さだったという。
本はまだないので、初期の信徒は、口頭で「原理」の教えを聞いた。そのあと釜山に逃れた。『原理講論』の最初の草稿が書き終わったのは、そのあとである。1960年に韓鶴子と再婚して、祝福を始めた。
最初の妻は、そういう役目は嫌だと言うので別れたという。ほかにも妻がいたという未確認情報がある(『文鮮明と統一教会』七九―八四頁)。
教団創設初期の怪しい儀式
当時の朝鮮には《いかがわしいセックス教》が横行していた(浅見定雄『統一協会=原理運動』七一頁)。文鮮明が統一教会を始めたのも、その流れの周辺だとも言われる。
セックス教とはどういうものか。
宗教的儀式だ、救いのために必要だ、と称して、教団の指導者が信徒と性行為を行なう。あるいは、信徒同士に性行為を行なわせる。
宗教的儀式だからと言って、信徒と好き勝手に性行為をするというのは、教会の指導者にとって都合がよすぎる設定だ。いかにも怪しい。社会常識にも道徳にも反している。
こういうセックス教団があった場合、つぎの二つのケースがある。
第一のケースは、教団の指導者に、教義がインチキであるという自覚がある場合。信徒と性行為を行なうことが目的で、教義はそれを合理化するためのつけたりである。でも信徒にはその教義を信じさせる。
第二のケースは、教団の指導者に、教義がインチキであるという自覚がない場合。信徒と性行為を行なうのだが、それは教義から必要なことだと、信徒も指導者も信じている。この場合は、セックス宗教だから怪しいのだが、インチキだと断定するわけにはいかない。
どちらのケースか、第三者が判断するのはむずかしい。信徒は、教えられたとおりに教義を信じている。第一のケースか第二のケースか、教団の指導者しか知らない。第二のケースでは教団の指導者も信徒と同じことを考えているのだから、信徒が「騙された」とは言えない。
さらにややこしいことには、教団の指導者自身が、第一なのか第二なのか、半信半疑で自信がないケースだってあるかもしれない。
こういうことを考えると、ある宗教が「インチキ」で信徒を「騙している」と、第三者が判断するのはとてもむずかしいことがわかる。
取締り当局はふつう、だから、騙しているかどうかに関係なく、いかがわしい宗教を一律に取締まる。社会秩序を「紊乱」しているというのが、その理由だ。
統一教会はどちらだったのだろう。
文鮮明に聞いてみなければわからない。インチキなセックス宗教だと、解釈もできてしまう教団だったとは言えそうだ。
「血分け」の儀式
統一教会の教義にとって、「血分け」が重要になる。『原理講論』の堕落論と、そこからの復帰の教義を考えてみると、それがわかる。
人類が堕落から復帰できるためには、
(1)メシアが地上に送られ、結婚して、真の父母となる。
(2)真の父母が、人びとの罪の血統をぬぐい清め、神との関係を正しくする。
の手順が必要である。メシアは、神のもとから人間のかたちをとってやって来るので、罪の血で汚れていない。そして、イエス・キリストと違って地上で結婚し、地上で真の父母として神の王国を建設する。
では、真の父母はどうやって、人びとの罪の血統をぬぐい清めるのだろうか。それには、堕落の出来事を打ち消す必要がある。エバが堕落したのは、サタンと性行為を行なったからだった。そこで罪の血がエバに入り、アダムに伝わり、血統を通じて人類一人ひとりに伝わっている。
(堕落)
サタンがエバと性行為
⇒ 正しくない結婚と家族
⇒ 罪の血統が全人類に
これを打ち消すためには、メシアが信徒の女性すべてと性行為をしなければならない。
するとその結婚は正しいものとなる。こうして罪の血統をぬぐわれた人びとが、神の王国を地上に建設することができる。
(復帰)
メシアが信徒の女性と性行為
⇒ 正しい結婚と家族
⇒ 神の王国を建設
文鮮明が信徒の女性と性行為を行なうことは、統一教会の教義からすれば、当然のことなのだ。これを、「血分けの儀式」という。
文鮮明は、宗教活動を始めたころから、性的スキャンダルの噂にまみれていた。一1946年に収監されたのは、「混淫」の容疑である。1955年の梨花女子大の事件も、被害女性の手記などで内実が明らかになっている。
1960年に韓鶴子と結婚してから、合同結婚式が始まった。ごく初期には、初夜の前に文鮮明が花嫁一人ひとりと交わったという。
その後、結婚式で飲むぶどう酒に、文鮮明の体液を混ぜることにしたともいう。のちにはそれもやめ、ただの祝福になった。
初夜は女性が上位と決まっている
合同結婚式のあとの初夜は、女性上位、など詳しく次第が決まっている。血を清める儀礼が、統一教会の教義の中心だから、そんなことを細かに決めているのだ。
第二に、創造論。『原理講論』が、神の天地創造をどう論じているか、その内容を要約してみよう。
創造論は、堕落論に比べて、議論が複雑でとても混み入っている。わかりやすく紹介するのが容易でない。
議論が混み入っている理由は、二つ考えられる。
一つは、文鮮明が執筆に困難を感じて、難渋したこと。うまく書けないから、理屈をこねくり回して、見通しが悪くなる。
もう一つは、もともと両立しない異なった原理を、つなぎ合わせているから。両立しないものを無理やりつなぎ合わせるのだから、論理が破綻する。それを誤魔化して目立たなくするため、もっともらしい用語を散りばめて、不必要にごてごてする。
実際は、この両方であると思う。
それでも文鮮明は、苦労して『原理講論』をなんとか書き上げ、それを繰り返し説教するようになった。自分なりに、その議論が納得いったということだ。そしてこの創造論は、統一教会の教義の柱の一つとなった。
*統一教会(世界基督教統一神霊協会)は、現在は、世界平和統一家庭連合と名前を変えています。新聞などは「旧統一教会」と表記しますが、本稿では歴史を尊重して、統一教会(Unification Church) と呼ぶことにします。
文/橋爪大三郎 写真/©shutterstock
統一教会に関連して、こんな画像がありましたので、ついでにご紹介しておきます。
あべしは、(たぶん)故人となりましたよね。なので、その後はどうなったか氣になるところですが、、、。
統一教会に関して、こんな画像もありました。この方たちも、お仲間ということでしょうかね。
統一教会については、こちらでも関連情報がありますので、貼っておきます。
Eriさんのコメントがついていました❣️🐸🍿
👇
ちなみに、神谷氏のこんな動画もありました❣️🐸🍿
この人が何を考えているのか、皆さん、理解できるでしょうか⁉️
👇
こちらは安倍晋三と統一教会のつながりに関連する記事です。どうぞ併せてお読みください🙏🌸🐰🌸
👇
まだまだ他にも、関連情報はたくさんありますが、今回はこの辺にしておこうと思います🙏🌸🐰🌸
#WWG1WGA🦁👑💕🌈👍✨🌸🐰🌸
#QArmyJapanFlynn #NCSWIC #DigitalSoldider #DarktoLight