今までの人生 摂食障害と京大法学部と弁護士辞めてWEBライター
私は未成年のときに重度摂食障害となり、死と隣り合わせで20年以上生来てきました。摂食障害とは、世間一般で「拒食症」や「過食症」といわれている病気です。
死の危険も高いとても恐ろしい病気です。
今まで何度も病気のせいで死にかけました。生きている実感もない毎日を続けてきました。
そんな中でも無理やり勉強して京大法学部に現役合格、司法試験にも現役合格して弁護士になりました。
しかし病気が悪化して弁護士は辞めざるを得ず。
今は引きこもり生活を送っています。
なお今後、法曹会に戻るつもりはありません。
以下でその経緯を簡単に記します。
17歳で病気になった
病気になったとき、私は高校生でした。
親が虐待タイプだったので、精神的に追い詰められてだんだんとご飯を食べられなくなったのです。
ただ、私自身子どもでしたし何が何だかわからなくて、なんでご飯を食べられないのかもわかりませんでした。
何も受け付けたくなくてとにかくすべてを拒否していたら、病気担ってしまったのです。
栄養失調となり、辛くて死にたくて
それでも必死で勉強して京大法学部に合格しました。
当時は「落ちたら死のう」と決意していました。
ところが大学に入ってもランチや飲み会が怖くていつも一人ぼっち。
体重が落ち続けて28キロになって倒れてしまいました。
髪が抜けて体を動かせず寝たきりになって学校にも行けなくなりました。
心細くて親に近くにいてほしいと思いましたが、親は私が飛び降り自殺を図っても無視してパートに行くような人だったのでどうにもなりませんでした。
2年になって無理やり司法試験の勉強始めた
大学2年になり、少し体重が増えて司法試験の勉強をはじめました。
しかし、また怖くて痩せ始めました。
勉強は続けており、2年の8月頃から必死になり始めてとにかく詰め込み、3年のときに択一試験に合格しました。
当時は論文の勉強が全然できていなかったのでもちろん不合格、それからガチ勉強して4年での合格を目指しました。
体重は落ち続けて体力が低下、1日に4時間くらいしか勉強できず栄養失調でぼーっとして不安でいっぱいでした。
このままでは命が続かないから「今年落ちたら辞めよう」と覚悟していましたが、4年で合格できました。
栄養不足で体は限界の状態、心はもちろんぐちゃぐちゃで完全に壊れてました。
修習時代もボロボロできつかった
修習時代もつらさが続きました。
とにかく食事ができない、飲み会やお弁当が怖くて人付き合いなんてまったくできなかったのです。
本当は友達がほしかったですが、食事がこわくて人の輪に入れませんでした。
栄養失調で自律神経もおかしくなっていたため、ちょっと食べると血糖が異常に上がって極端な眠気が襲ってきます。いつも寝てしまうので有名人になってしました。
ついには検察修習で「検事正(検察庁で一番偉い人。めっちゃこわいです)」の目の前で堂々とぐうぐう寝てしまい「伝説」に。
周りは笑ってましたがこっちは血糖の調整ができないからやむを得ないのにそんなの説明できないしひた隠しでへらへら笑ってるしかありませんでした
。
弁護士になってから
弁護士になってからも病気がバレたら人生が終わると思い、更に「ひた隠し」を続けて自分がどんどん分裂していきました。
依頼者のために、人のために栄養失調でフラフラになりながらなんとか頑張っていましたが、自分がどんどんぶっ壊れていきました。
毎日「死にたい」としか思えませんでした。
事務所を開業して独立しましたが、毎日限界で生きた心地がしなくて、「私はまるでボロ雑巾だな…」「このままボロボロで死ぬしかないんだな」という絶望感。
それでも依頼者の方に報いなきゃ、という思いだけで仕事を続けました。
いい加減なことは絶対しなかったです。
とにかく早く死にたかっただけでした。
なお当時親は「あんたは弁護士を辞めたら何も残らない」と一蹴し、ガリガリで死にそうになっている私の尻をひっぱたいて鞭打つような言動しかしていませんでした。
事務所を畳んで弁護士を辞める
最終的に無理がたたり、体重が20キロになりベッドから起き上がれなくなって弁護士は辞めざるを得なくなりました。
意外なことに、私は事務所に強い愛着をもっていたようで、閉めるのはとてもつらかったのです。
ガリガリで意識朦朧とした中でも、お世話になった法曹界の先輩や元勤務先の先生、修習でお世話になった裁判官の方などにメールや電話でお知らせして泣きました。
依頼者の方にもで連絡したところ、一緒に泣いてくれた方もいらっしゃいました。
ある依頼者の方は「あなたのような弁護士が必要だと思います。絶対戻ってきて下さい」ともおっしゃってくださって、ありがたい限りだと思いました。
ただ自分的にはとにかく情けない気持ちで一杯でした。お世話になった方に本当に申し訳ないと。
そして、こんなボロボロになった私が法曹界に戻ることは決してありえないと思いました。
辞めたあと生死の境をさまよう生活
事務所を畳んでからは、闘病生活です。
死にかけていたので、感傷に浸る暇などありませんでした。
毎日が限界、髪の毛も抜け落ちベッドから起き上がれない、いつ死ぬかわからない意識不明、錯乱状態が続きました。
呼吸困難で2回救急車で運ばれても処置の方法がないといわれ、絶望感。
生きるか死ぬかの毎日で、人生は完全に終わっていました。
闘病中の生活
闘病中、私はやせすぎてベッドに横になっても骨が当たって痛くて死にそうでした。クッションを何枚も重ねても痛みが取れず。
寒すぎて初夏でも毛布をかぶっていました。
そのうち、寝ながら小説を読みまくったり音楽を聞いたりしてうとうとしたりして時間を過ごすようになりました。
また語学が好きなので、寝ながらイタリア語とフランス語の勉強を始めました。
ライターになった経緯
少しだけ起き上がれるようになった頃、PCでクラウドソーシングを見つけました。
婚活について500文字書いたら100円
などの案件を見つけて「100円でももらえるならいいか」などと思いタスクなどで時間をつぶすようになりました。お金もうけとかはまったく考えてませんでした。
とにかく自分としては完全にリタイアしたし、もはや弁護士でもなんでもなく法曹界とも完全に縁が切れたと思っていたので。
ところがそのうち法律関係の依頼が増えて、いつのまにかライターになっていたのです。人生は不思議なものだと思います。
あんなに辞めたかった弁護士や法律知識が今私を助けてくれている。
人生で無駄になるものなんてないんだな、と感じます。
闘病生活が続く
今でも病気の方はまったく治らず、ご飯はまったく食べられない状態です。
ご飯
パン
パスタ
ラーメン
うどんそば炭水化物は全部無理
肉類NG、卵も無理
受け付けるのはヨーグルト、野菜と果物とシリアルくらいです。
毎日が飢えとの戦いで、Twitterなどで美味しいごはんやデザートの写真を載せている方をみると、心底「健康ってすばらしいな」と思います。
私にはたぶん一生無理なぜいたく…
本当に、1回だけでもお茶碗一杯ご飯を食べられたら。食パン1枚食べることができたら。
また過食でめちゃくちゃ食費がかかっていくら稼いでも足りません。
歯もボロボロになり、たくさん抜きました。
「人生で一回でもお茶碗一杯の白いごはんを食べたい」
「食パン一枚を食べたい」
生きてるか死んでるかわからないような毎日を過ごしています。
こんな私の人生、漫画でみなさまに知ってもらえたら、と思い制作を進めています。
また、みなさまのご支援があると少し食べられるので、チャリティサポートをお願いしています。
命の糧とさせていただきますので、よかったらこちらから少量でもご協力いただけますと助かります。
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