ジェンダー学に興味があるなんて言えない
高校生の頃から、政治に興味があった。
そのための日々の情報収集では、女性の社会進出について取り上げた記事をよく目にするようになった。
いつしか興味はジェンダー学に傾くようになっていた。
でも知れば知るほど、ジェンダー学を学ぶことへの躊躇いが生まれた。
女性でジェンダー学に興味があるというと、"フェミ"だと揶揄されることが怖かったから。
フェミニストを悪く思ったことはないし、どちらかいうと私もフェミニストだと思う。
けれど、世間で呼ばれる"フェミ"とはレズビアンを"レズ"と呼ぶのと同じように、差別や軽蔑の意味が込められた呼び方だ。
(もちろん当事者が略語として使うことも多くある)
とにかく、その軽蔑対象になることが怖かった。
学びたいことを胸を張って学びたいと言えない世の中なんて、どうかしてる。
学ぶ権利は誰にでも与えられているのだ。
憲法でだって保証されている。
それなのに、学ぶことをためらわせる世の中ってどうなんだ。
この社会自体が違憲ってことなのか。
フェミニストの話に戻るが、
たしかに、一部の過激派は女性至上主義みたいなところがある。
しかし私は、性別に囚われずに生きていける社会が理想だと思っている。
フェミニズムはそのステップとして、これまで不利な立場にいた女性を、男性と同じラインに立たせるために、必要な考えだと思っている。
男性優位である社会に、いきなりジェンダーフリーを呼びかけたところで、変わるのは難しいからだ。
しかし、女性軽視や女性蔑視だと主張すると、途端に"フェミがまたなんか言ってるぞ"と言われてしまうのが現状である。
おかしな主張だと思うのなら、その"フェミ"と議論してほしい。
いや、対話の方が平和かもしれない。
とにかく、フェミがなんか言ってんな。という一言だけで終わらせてほしくないのだ。
例えその主張に矛盾があったとしても、正面から向き合ってほしいのだ。
だって私たちは、ただ不遇を嘆いているのではなく、この現状を変えたくて叫んでいるのだから。
もっと大変な人もいる。もっと差別されてる人もいる。男だって大変なんだ。
そうじゃない。大変さを一緒に嘆いて欲しいわけじゃない。
現状を知って欲しいのだ。
なぜなら、無意識に刷り込まれたジェンダーバイアスを理解するだけで、この世の中は少しだけ優しい世界になると思うからだ。
女性だけが大変な思いをしている訳じゃないことなんて、知っている。
俗に言う"男らしさ"に苦しめられてきた男性だって多くいるだろう。
社会的性別なんて、クソ食らえ。
ジェンダーなんて関係なく、皆が暮らしやすい社会にしたい。
そのための一歩として、女性差別をなくしたい。
ただそれだけなんだ。
だからどうか、この叫びを無視しないでほしい。
周りを気にして、堂々と学ぶことのできない学問なんて、あるはずない。
胸を張って、ジェンダー学に興味があると言える世の中にしたい。
ただ、それだけのことなのに。