麗しのナイチンゲール 考察

はじめに

『Acanthe』のカップリングとして収録されている『麗しのナイチンゲール』。私は発売日に聴いたのですが、それはそれは衝撃を受けました。
これはアイドルが歌うにはあまりにもレベチ……芸術……Valkyrieって本当にすごい…………芸術家だ…………。
この曲に、私の音楽観──言うと大層に聞こえてしまいますが──が変えられたと言っても過言ではないくらい、本当に好きな芸術作品です。

え!?この曲に狂ってるのヴァPだけ!?!?と思っていましたが、スタライ7で……まさかの……披露してくださったので……;;
ここらで一度、この曲への自分なりの解釈みたいなものを文章に記しておくかぁと思い、筆を取りました。
※あくまでも私の中での考察です。私はこう思って聴いていましたよ、という妄想の産物です。


考察


『泉に浮かべた 月星のドラジェ 眠れる森の底で』
『木立を揺らした 夜風にさすらう か弱き調べよ』


→泉というのは地中から水が湧き出るところを指します。よって物事の源の比喩表現としても用いられる事が多いですよね。

月星
→AcantheのMVでも三日月が演出にあったり、ソロ曲でも三日月が使われていたりと、月はみかの事を指していると思われます。
そして、「演舞 天の川にかける思い」のサブタイトルにある「巨星、堕つ」だったり、みかにも「お星様」として例えられる事が多かったりするため、星は宗の事を指していると思われます。

ドラジェ
→ヨーロッパで、洗礼や出産などの慶事で配られる砂糖菓子。イタリアで原型が生まれ、フランスで現在の形になったと言われています。

月星のドラジェ=Valkyrie。泉もドラジェも何かが誕生したり前向きなイメージなので、そこに浮かべる、つまり夢想するのは二人で歩み高め合うような最高な形のValkyrie。
しかし、眠れる森の底、と来ます。眠れる森の奥ではなく、底。"泉"と"底"はいわば真逆の場所なんですよね。Valkyrieは泉の下、地の底、落ちたところにいる。という事ではないでしょうか。(実際、地下ステージでの活動が長かったよね)
そして"夜風"、"さすらう"、"か弱き"など、低迷しているような、ネガティブなイメージのフレーズが続きます。
(月星のドラジェって天才的なフレーズ二人にぴったりの美しい例えと語感だな……。)

⇒弱り、彷徨っている二人がどん底で夢見るのは、二人で最高の芸術を披露するValkyrieの姿。


『さあ歌おう 白む空へと』
『黎明の息吹 生命の喜びを』

先程とは一転、"白む空"、"黎明"、"息吹"、生命"といった、ここから始まる、何かが生まれるかのような希望あふれるポジティブなイメージのフレーズが並びます。先程の小節が暗かったので、この小節では明るくなっていく様がより際立っている気がする。暗→明の表現が素晴らしい。

⇒Valkyrieの夜が開ける。新しく始める時が来た。さぁ、人間として、アイドルとして、芸術家として生きる事が出来る喜びを歌おう。


『麗しの』
『ああナイチンゲール ああナイチンゲール その歌声で』
『Tica-linga-lira Tica-linga-lira 導くように』
『ああナイチンゲール ああナイチンゲール 共に歌おう』
『Tica-linga-lira Tica-linga-lira 世界の目覚め』

小夜啼鳥のお伽噺をご存知でしょうか。正直このお話を知っていると考察なんていらないくらいこれが全て、という感じです。

以下、Wikipediaのあらすじ。
『中国の皇帝の住む御殿と御苑はとてもきらびやかで広大なものであった。世界中の国々から旅行者が中国の都にやってきて、誰もが御殿と御苑の素晴らしさに感心したが、その中でも御苑の林に住むさよなきどりの声がいちばん素晴らしいと皆が賞賛し、その声は書物を通じて皇帝の耳に入るようになった。しかし皇帝自身はさよなきどりを知らず、ぜひとも声を聞いてみたいと家来たちにさよなきどりを探させる。
家来たちの求めに応じて宮中に赴いたさよなきどりは、その美しい鳴き声で皇帝を感動させ、宮中で暮らすことになったが、ある日、日本の天皇から細工物のさよなきどりが贈られてきた。宝石で飾られた美しい細工物のさよなきどりは、ネジを巻く限り疲れることを知らず同じ節で美しい鳴き声を奏で、皇帝はその鳴き声にすっかり魅了されてしまった。宮中で必要とされなくなった本物のさよなきどりはいつの間にかいなくなってしまったが、それを気に留める者は誰もいなかった。
ところが1年後のある日、細工物のさよなきどりが急に動かなくなり、鳴くことをやめてしまった。1年間にわたってやたらとネジを巻き過ぎた結果、機械のネジが壊れてしまった細工物のさよなきどりは誰も直すことができず、二度と鳴くことはなかった。それ以来、皇帝は深い絶望に沈んでしまった。
それから5年が経ち、皇帝は重い病にかかった。皇帝は死神に憑り付かれていて、もはや助かる見込みはないと思われ、宮中では次の皇帝を決める会議が進められていた。そこに本物のさよなきどりが再びやってきて皇帝に鳴き声を聞かせる。死神はさよなきどりの美しい声を聞くと消えてしまい、皇帝は死の淵から復活した。』(Wikipedia /『小夜啼鳥(童話)』あらすじより引用)

ナイチンゲール
→影片みか
皇帝
→斎宮宗

皇帝(宗)はナイチンゲール(みか)の美しい声を聴いて死の淵から復活した。
この一文だけで、マリオネット……七夕祭……返礼祭……。ヴァのストーリーが走馬灯のように駆け巡る。

きらびやかな御殿はValkyrieの舞台を彷彿とさせますし、小夜啼鳥の存在を知らず、そして御殿から小夜啼鳥がいなくなっても気にも留めなかった皇帝というのも、どことなく、かつてみかに「いてもいなくてもどちらでもいい」と見向きもせず、歌わせもしなかった宗を彷彿とさせます。

スタライ7で、みかが宗の周りを何かを探すように、彷徨うようにしていた間奏部分が印象的なのですが、あれは、必要とされなくなり、誰にも気に留められなかった小夜啼鳥を表してたのかな…。宗(皇帝)も気に留めてなかったように見える。渉にも言われていたけど、身近にいる幸せの青い鳥に気付いていなかった宗……。
私はこの場面を見て、頭の中に妄想としてあった考察まがいのものをちゃんと整理して文字にしようと思った次第です。

麗しのナイチンゲールはバレエやコンテンポラリーのステップや振りがふんだんに盛り込まれていて本当に美しかったですよね……。ハァ……Valkyrieが本当に好きだ……。

話が逸れました。

「麗しの」を宗が歌ってるのエモい。
このサビは宗からみかへの熱烈な愛のメッセージですよね……。
神話に出て来るヴァルキュリーは戦争で斃れた英霊の魂を導く存在ですが、それにみかを重ねているような感じがします。

そしてシェイクスピアのロミオとジュリエットにもナイチンゲールについての有名なセリフがありますね。「愛する人と夜が明けても共にいたい」という思いがこのナイチンゲールという鳥に込められているんですが、その名前の通り、ナイチンゲールは夜に鳴く鳥。そして、ヨーロッパでは春を告げる鳥でもあります。暗闇に鳴く、春を告げる鳥。影片みかです。

そしてナイチンゲールの鳥言葉(そんなんあるんや)は「奉仕、献身」。どん底にいる時もずっと宗の事を支え続けてきたみかにぴったりですね……。うう、涙が……。
宗どんな表情でこの歌詞を書いたんだろう……;;
「ナイチンゲール」ひとつに、色んな意味が込められています。素敵すぎる。すごいよ……。

⇒麗しい影片。その存在で、歌声で、僕とValkyrieを導いておくれ。そして僕と共に歌おう。
影片みかの芸術家としての目覚め、そして新しいValkyrieの目覚め。


『恐れを手放す 無防備な夢に 怯えた幼き日は』

ここは宗が歌っている事によって説得力があるというか、考察が膨らむところです。

無防備な夢
→脆かった旧Valkyrie時代の事でしょうか。それこそ旧Valkyrieの楽曲のように砂上の楼閣ですが、まさに宗の夢そのものだったでしょう。 

怯えた幼き日
→幼き、に二重の意味が込められていそうな気がします。一つは「旧Valkyrie時代の未熟な宗」、もう一つは「いじめられて泣いてばかりいた幼少期の宗」。
主に表したいのは前者だと思いますが、後者で幼少期の事ほんのり匂わせる事で人生を感じるというか、グッと深みが増してるような気がして勝手に感動しています。

⇒何も怖くなかった、あの頃のValkyrie。砂上の楼閣は崩れ落ち、トラウマの日々。

 

『窓辺に佇み 待ちわびていたね 光の救いを』

同じくここもみかが歌っている事で物語が深く色づけされている気がします。

窓辺に佇み、という事は二人は建物の中から出られず、窓から明るい外(革命後の夢ノ咲)を眺めている状況。窮屈そう。
そしてこのフレーズも、もう一つ意味が込められていそう。そうです、みかの幼少期です。
孤児としてどうしようもない絶望や将来への不安。いつも我慢ばかりで一人で枕に顔を押し付けて何でおればっかり、と声を殺して泣いた日々。施設の窓辺に佇んで光=お師さんとの邂逅を待ち侘びているみかが目に浮かんで来ます。


→ここでの光も、二つの意味がありそう。
一つは「お師さん」自身の事。もう一つは「希望」。

⇒お師さんが救われて、報われて欲しい。神様でも何でもいいから、この状況から救って欲しい。


『さあ時間だ(Tica-ling)』
『涙を拭い(Tica-ling)』
『囀りにあわせ 隔てなき地平で』

1番と同じく、暗→明の構成ですね。
傷つき泣いてばかりいた二人の幼少期を踏まえていると「涙を拭い」の部分により深みが出てきます。

隔てなき地平
→先程の窓辺=建物の中という不自由から一転、もう何も障害物はない、自由なValkyrieという感じですね。

囀り
→ナイチンゲール=みか の存在、歌声。

麗しのナイチンゲールは宗からみかへの熱烈な愛の歌だと思っているので、宗目線で解釈してみます。

⇒みかが歌うようになった新体制Valkyrie。トラウマから立ち上がる宗。もう僕たちを脅やかすものは何もない。


『萌え出ずる』
『ああナイチンゲール ああナイチンゲール 内なる力』
『Tica-linga-lira Tica-linga-lira 希望に変えて』
『ああナイチンゲール ああナイチンゲール 共に生きよう』
『Tica-linga-lira Tica-linga-lira 色づく世界』

「萌え出ずる」をみかが歌ってるのエモい。
このフレーズに、影片みかの人間としての生命力と芸術家としての発露を感じます。
そして「共に生きよう」ですよ。先述した「愛する人と夜が明けても共にいたい」のような思いが込められてるのではないでしょうか。影片の献身的な支えによってどん底だったValkyrieは春を迎えたが、これからも君にはずっとそばにいて欲しい、僕と共に生きよう、という宗の気持ちが溢れている気がします。

余談:実は、ナイチンゲールは告死鳥とも呼ばれています。ロミオとジュリエットではナイチンゲールの啼き声(実際はヒバリですが)を聴いたその夜を最期にして、二人は二度と生きて会えることはありませんでした。しかし『麗しのナイチンゲール』でのナイチンゲールはあくまでも春を告げる鳥としての意味合いで歌い上げられていると思います。ロミオとジュリエットの運命を踏まえた上で聴くと、共に生きようと誓うValkyrie、尊すぎやしないか……。

⇒影片の人間として、そして芸術家として秘められていた才能が開花する。それを希望にして僕と共に生きよう。
色付く斎宮宗の世界、影片みかの世界、そしてValkyrieの世界。


『永遠を捧げ 運命に焼かれた蜜月』

→蜜月
親密な関係を指します。つまり宗とみか。Valkyrie。

礼賛歌MVの「芸術にその命、捧げる」の場面、真っ直ぐ天に向かって手を伸ばして歌う宗と、そんな宗に手を伸ばしながら切ない表情で見詰める影片がめちゃくちゃ好きなんですが、あの物悲しい表情……。影片にとっては宗こそが命を捧げるべき相手なんですよね……。でも宗は芸術に命を捧げてしまう。切ない。

また話が逸れました。

⇒宗は芸術に、みかは宗に永遠を捧げ、革命という運命に焼かれたValkyrie。

『やがて全て 等しく生まれ変わる兆し、祈り』
『清らかな朝に』

「生まれ変わる」「朝」という明るく生命力溢れるポジティブな表現がされています。

⇒革命によってアイドル界全体、そして宗とみか、Valkyrieも良い方向に生まれ変わる気配。そうなってくれという願い。想い。


『ナイチンゲール ああナイチンゲール その歌声で  Tica-linga-lira Tica-linga-lira 導くように』
『ああナイチンゲール ああナイチンゲール 共に歌おう Tica-linga-lira Tica-linga-lira』
『世界の目覚め』

ここ、みかパート、宗パートからの「世界の目覚め」でValkyrie二人が歌うの最高じゃないですか?

ナイチンゲール=みかですが、このパートはみかがソロで歌っている事で、1番のサビとはまた違う解釈も出来るような気がします。

みかパートは「お師さん、おれとValkyrieを導いてな」という宗への呼びかけのようにも思えます。
からの宗パートの「共に歌おう」ですよ。
みかがお師さんに「お師さんが導いてな」と言ったら、宗は「いいや、影片。共に歌おう」と応えるわけです。そんなんエモすぎんか??

対等な関係になる事を宗が望んで、みかは人間に、そして芸術家になりました。まさにそれです。エモい……エモすぎる……(語彙力無)

⇒お師さん、これからもおれとValkyrieを導いてくれるやろか。
影片、これからは対等な人間、芸術家として共に歌おう。
二人の芸術家がいる、Valkyrieとしての新しい世界の目覚め。はじまり。


『ああナイチンゲール ああナイチンゲール 内なる力』
『Tica-linga-lira Tica-linga-lira 希望に変えて』
『ああナイチンゲール ああナイチンゲール 共に生きよう』
『Tica-linga-lira Tica-linga-lira 色づく世界』
『奏で響け…』

ここまで来たらもう号泣ですよね……。

⇒秘めていた才能を芸術という希望に変えて、Valkyrieとして共に生きていこう。Valkyrieで世界を色付けていこう。これからもValkyrieという芸術を共に奏でていこう、世界へ響かせていこう。ずっとずっと……。

〜Fin〜
(『麗しのナイチンゲール』Valkyrie  歌詞/こだまさおり、作編曲/須田悦弘 より歌詞引用)



以下、特に意味のないゔぁ語り。 


スタライ7、ヴァPとして本当に誇らしさしかありませんでした。影片を前面に押し出した宗の采配もあり、人間としての生命力溢れる影片があまりに輝いていた……。こんな素晴らしい人たちを応援させてもらっている。ありがたいなぁ。

こよつき→EW→Ac→ナイチンゲールの流れあまりにも天才すぎませんでしたか?というかもう『Valkyrie』というひとつのミュージカル、オペラを観ているようでした。斎宮宗が影片みかという人形の芸術家としての才能に対して、これを育てない手はないとハロウィンパーティて思って(こよつき)、人形じゃなく人間、そして芸術家になって欲しいと願って(EW)、人形がひとりの人間として目覚めるのを待ち続けて(Ac)、共に芸術家として歌おう生きようと誓う(ナイチンゲール)流れ……最高…………;;;;;

宗が導き、影片みかという芸術家を誕生させ、そして共に歩いていく──。スタライ7のValkyrieのステージは、そんな二人を描いた舞台だったように思います。

あんスタに出会ってはや一年数ヶ月が経ちましたが、初めてPというものになったのが Valkyrieでした。フォロワーさんからのあんスタ布教を受け、公式サイトでユニット一覧を眺めてた時はこの人たちは刺さらないだろうなぁと思っていたんですが、叩いた魅惑劇で衝撃を受け、これが当時TLで話題になってたアリプロ楽曲提供のあれか!?これは知ってるわ!それがValkyrieやったんか!というところから始まり、二人の織りなすValkyrieという世界に触れていくうちに、どうしようもなく惹かれていったんですね。そしてこれがPになるという事か!とPを自覚するに至りました。

スタライ7は初めてそんなValkyrieを生で浴びられるという事で本当に本当に楽しみで、初日と千秋楽は生で観ることが叶いました。麗しのナイチンゲールが来るとは思ってなくて、来たらやばいけどまぁ来んやろ、くらいに思っていたんですね。そしたら……ねぇ……来ちゃいましたよ……。
もうペンラも振れず地蔵、周りの方々もリズム感皆無になってて、ああValkyrieだ……と思いました。
Acantheからの麗しのナイチンゲールの流れが本当に天才で、連続で魅せてくれたことに感謝しかありません。本当に希望に溢れたValkyrieでしたね……;;;;

こよつきやEWで如何なく発揮される影片の関節柔らかすぎる人体構造無視のダンスですが、生で見ると一層ヤバかったですよね。いや、宗のダンスももちろん完璧です。EWの歪に〜のとのろの頭ぐわんって回すところ大好きなんですが、生だと髪がブワァッて乱れてめちゃくちゃ興奮しました。あと軸が本当にブレない。綺麗。姿勢の良さがわかる。さすがなんですよね斎宮宗様……。
あと顔が……あまりにも良すぎた…………。宗も彫刻のように整いすぎているほどに整っているお顔をしているのでどの瞬間を見ても宗こそが芸術作品だよと思うし、影片はローゼンメイデンに薔薇乙女として登場してもなんら不思議ではない麗しいドーリーフェイスで、あの無造作な髪型でお人形のような美しさが損なわれないのすごいと思うんです。そして何よりも琥珀と瑠璃の瞳が宝石のようにキラキラしてて本当に綺麗で、影片の顔は本当に神様の絶妙な調律で生み出された最高傑作だと思いました。
インストールして1ヶ月目くらいに刑事danceのスカウトが来て、野良あんライで見た影片の顔があまりにも美少年で刺さっていた私は初めて課金してでも出るまで回す!と意気込んで単発から回したら単発で来た、という奇跡の伝説があるのですが、あの頃からずっと影片みかがこの世で一番の美少年という認識は変わりません。

閑話休題。スタライ7、個人的にはAcantheのラストで宗と影片が上を向いて微笑むところが大好きです。芸術家としての目覚めを心から喜んでいる宗と目覚められてよかったみたいな影片の顔よ……。

改めて、Valkyrieの未来は明るいなと思いました。
この先どんな困難があってもこの二人なら乗り越えて芸術に昇華していくでしょう。そう涙しながらアニメイトに寄った私は感謝を込めてAcantheと麗しのナイチンゲールのCDを再び購入しました。

本当にValkyrieに出会えてよかった。
推しててよかった。大好きです。ありがとう。
そして麗しのナイチンゲールという素晴らしい曲が、少しでも多くの人の心に届きますように。

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