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生きづらさ

昭和の時代を知ってる自分にとっていまは
便利な時代になりました。

いまは、なんでもわかってしまう、見えてしまう時代なのかなと

便利さと見えすぎる、心に触れるのが簡単すぎるから生きづらさを感じやすいのかもしれない


私は子供の頃生きづらさを感じてました。

人見知りで人と話すことは臆病でした

自尊心もゼロだからかと思います

自信がない、拒否されたらとかいろんなことを考えてました。

私の嫌われる勇気の記事もにも書いたけど

もう、今は自分の味方は自分であり

人の批判は、その人の不満が表裏一体であり

その人の悩みも透けて見える

今便利になっていろんなものが見えるから
他人に不平不満をもったり、なんで自分はと
思うこともおおいかもしれません

もしくは、普通にしていても他人からやっかまれたり
勝手に気楽にしててうらやましさの半減やつあたりされたり

誰しも不平不満をもってて誰かに八つ当たりしてるのかもしれない

でも、他人の芝は青く見えるというように、

見えるものってすべてではない、

その陰にはいろんなものがあります。あなたがもってるものを
その人は持ってないものも実はあったりする

年を重ねていろんな人の生活を嫌でも見ている自分としては

人ってお金持ちでも心がすさんでしまってる人もいれば

お金なくても幸せな人って多いんだなと最近思います

他人と比較せず、みえるものをみないでもいいかも

だって、その人の本当のところなんて絶対見えないし

見せないものです、

人は情けないところ、悩み、弱みは見せない

他人を攻撃してはけ口にしても


恐ろしいことにすべてそれは自分に同じように

違う形に返ってくるのでかえって不幸になります


人の幸せを横取りしても自分は幸せにはなりません

人には尺度がそれぞれちがうから

だから私はあまりつるまなくなりました

ひとと比べられたり、比べるような付き合いや

目に見える世界にうんざりしています


よくやっかまれたのは、私の本質的な悩みなんて
その人たちにはみえなかったからこそなんだろうし

逆に自分はたのしんでいるようにみられるのなら
自分はまだ自分の世界でたのしんでいると自画自賛のこの頃です



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