[創作童話] 近づきたい
「あーあ」
体操着に着替えながら、ぼくは大きなため息をついた。教室から見える校庭は、降りつづく雨で白くかすんでしまっている。大嫌いなプールの授業がおわって、やっと思いっきり走り回れると思ってたのにな。
「残念だね。今日は体育館でマット運動だって」
みっくんが声をかけてくれた。彼は、ぼくがぶうたれてると、いつも声をかけてくれる。みっくんとは今年、5年生になってから同じクラスになった。ふたりとも歴史が好きだとわかると、すぐ仲良くなった。お互いの家を行き来するようになって、夏休みには博物館に行ったり、となりの県をお城を見に行ったり、恐竜展に行ったり、毎日のように遊んだ。
それでだんだんわかってきたことがある。
みっくんは、ぼくの知らないことをたくさん知ってる。
ぼくより何歩も先を歩いてる。
歴史のことも、恐竜も、たくさん知ってる。そろばんもぼくより上だし、水泳だって上手だ。すごいなって思う。
けど、なにかひとつ、勝ちたい。
勝って、悔しがらせたい。
悔しい顔をみたい。
そう思うようになっていた。
「さあ、体育館いこう」
みっくんが明るくぼくをうながした。
ぼくはのろのろと体操着のそでに腕を通した。
雨が強くなったらしい。体育館の屋根に当たる雨音がうるさい。
体育館では、クラスのみんながバスケのボールを手に盛り上がっていた。誰が一番遠くからロングシュートを決められるか勝負していて、ちょうどいま、言い出しっぺのナオキが、センターラインからシュートを決めたところだという。
「おまえら、やってみてもいいぜ。どうせ俺には勝てねえと思うけどな」
得意気なナオキが、生意気な言い方でぼくらに声をかけると、わざわざボールを放り投げてきた。ぼくはコイツが大嫌いだ。人を見下す態度が気に入らない。無視だ無視。けど、みっくんはボールを拾いあげるとバスケコートに歩き出した。
「え、やるの?」
「チャイムまで時間あるし。君は?」
ぼくは迷った。ナオキの挑発に乗るかどうかじゃない。ぼくはボールを使った遊びが得意だ。小学2年から野球やってるし、サッカーもバスケも得意だ。けど、みっくんは苦手だ。
――勝てるかもしれない。
ぼくはあまってるボールを手に取り、対決の位置についた。
そこは、さっきナオキが決めたというセンターラインより一歩さがったところ。
「遠いな……」
試合中、こんなとこからシュート打ったら、きっとめちゃくちゃ怒られるだろうな。
いや、いまは集中。
雑念を捨て、シュート体制に入る。
息を止め、ゴールリングを狙う。
シュート。
ぜんぜん足りない。リングの手前、かすりもせず外れてしまった。
クラスメイトも次々に投げるが誰も入らない。
「この勝負、オレ様の勝ちだな!」
勝ち誇ったナオキの声が、ウザい。
そして、みっくんの番。何を思ったか、ぼくの位置から3歩もさがって構えた。「無茶だ」「入るわけない」と、みんながささやく中、みっくんが投げたボールは大きな弧を描いてゴールリングに直接吸い込まれた。
「入った!」「すげえ!」
クラスメイトから歓声があがる。
「認めるもんか!」
ぼくは心の中で叫んだ。みっくんを称える歓声は苛立ちの嵐となってぼくの心を激しくかき乱した。
「チッ!」
ナオキの舌打ちが聞こえた。ヤツはどす黒い顔で、みっくんを睨んでる。どうやら思いは同じらしい。
ぼくの番になった。ぼくは、みっくんがシュートを決めた場所から、さらに5歩さがった。「無謀だろ」と、あざけりが聞こえた。
でも、これくらい離れなきゃ。
圧倒的な差を見せつけなきゃ。
これが、唯一、みっくんより得意なこと。
負けるのか?
嫌だ。
負けたくない。
悔しがらせてやるんだ!
ゴールリングを睨みつけ、力いっぱい投げたボールはバックボードに激しく当たり、そのままゴールリングに吸い込まれた。
「おお、決まった!」
歓声が沸き起こる。ぼくは「どうだ!」とみっくんを見た。だけど、みっくんは、自分が決めたときよりも笑顔で駆けよってきて、どんなにすごいシュートだったか、興奮気味にほめたたえてくれた。
ぼくは戸惑った。期待してた反応とあまりに違いすぎて、あいまいに相づちを打つしかなかった。そのとき――
グァンッ!
お寺の鐘をついたような強い衝撃を頭に受けた。何が起きたかわからず、意識が遠くなっていく。
「ごめんごめん。手がすべっちったよ」
わざとらしい声が、ぼくの意識を引き止めた。ナオキだ。ヤツは苛立ちをこらえきれず、ぼくの後頭部めがけてボールを投げつけたのだ。言い返してやりたかったけど頭がはっきりしなくて、うまく言葉がでない。
「なに言ってんだよ! わざとだろ!」
みっくんの、まっすぐで頼もしい声が、ぼくに代わって言い返してくれた。強情なナオキは認めず、逆ギレして体育館から出て行ってしまった。
「なんだよ、あいつ! うしろからボールぶつけるなんて、なに考えてんだよな!」
みっくんは怒っていた。けれどぼくには、ナオキの考えがわかる気がした。負けたくなくて、悔しくて、イライラして、抑えきれなくなって、そして……
ぼくとナオキ、どこが違ってたんだろう?
一歩間違えたら、ボールをぶつけられたのはみっくんで、ぶつけたのはぼくだったかもしれない。
そう思ったら、背筋がゾッとした。
「なあ。どうしてぼくのこと『すごい』って言ってくれたの?」
「だってあんなに遠くからさ。すごいチャレンジだし、ぼくにはできないよ。しかも決めた」
みっくんは「当然だろ、どうしてそんなこと聞くんだ?」と不思議そうな顔で答えてくれた。
「かなわないな……」
ぼくはつぶやいた。
やっぱりみっくんは、ぼくの何歩も先を歩いてる。
ぼくもみっくんのような清々しい心を持ちたい。
少しでも近づきたい。
そう思った。
チャイムが鳴って先生がやって来た。授業が始まる。体育館の屋根に当たる雨音は、いつのまにか気にならなくなっていた。
雨で白くかすんだ景色が、ちょっとだけ晴れた気がした。
(了)
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