究極的に人は孤独で、一匹狼なのだろうか。
人という字は人と人が互いに寄りそい合っている姿を表した字だと某有名熱血教師は愛すべき生徒たちに諭した。
解決法が少し斜め下に捻くれているやつだったら人という字は人が人に寄り掛かって誰かを犠牲に楽をしていると言うだろう。
人間はコミュニティに属する動物だ。
学校でも職場でも家庭でも、大体の人は心当たりがあって当てはまる。
どんな絶世の美女だろうが少女漫画に出てくるような王子様だろうが反対にモブキャラ同然の人だって少なくとも何かのコミュニティに属している又は属していた筈である。
実際、人と人は繋がることによって底知れぬ安心感を得たり、互いに協力することによって偉大な事を成し遂げたりしたのだろう。
それによって手に入るメリットは莫大なものだが、反対に人間関係の尽きない悩み等のデメリットもある。
メリットもデメリットも含めて、どれも人が人と関わることによって起こるのだ。
人は簡単に傷つく。
心ない悪口陰口に身を晒されたり、大炎上して叩かれたり、右ストレートでぶっぱなされることもある。
その度に人は傷ついていく。
その間柄に実質クローン的な血の繋がりもあればないこともある。
年齢や立場が関係ないこともある。
人と人は複雑に混ざり合って勝手に傷ついて勝手に喜ぶ生きものだから。
でも人は平等だと謳われているのにも関わらず時に底知れぬ意地と悪意で他人の命をいとも容易く脅かせるし、生き残ろうとして世界を巻き込んだりもする。
自分さえよければそれで良いと思って大切な人を思いやる気持ちなく切り捨てたりする人もいるのだ。
そんな世界で、それでも多様性がある程度許された世界で本当に人と人が理解し合って幸せを分かち合うことなんてできるのだろうか。
悪意ない敵意ですら学校に職場に家に幾らでも溢れ蔓延っているのに。
第一に使用される言語ってのが、曖昧であやふやなのだ。
人によって言葉の意味やニュアンスは当たり前のように違ってくるし、風とともに消えて無くなるのだから後世には余程のことがない限り残らない。
一人一人の人体構造がそもそも違って双子ですら別人なのだから、やはりこの世界で人と人が真に理解し合えるなんてことは到底不可能か。
いくら表向きはニコニコしていても、心の中の表情なんて読めやしない。
コミュニティに属して一見楽しそうでいても、やはりどこかで人は孤独を抱えて生きてくしかないのだろうか。
だって全員が全員、軍隊アリとはかけ離れた別個体だから。
統率なんて100%とれるわけではあるまいし。
コミュニティを作って他の種を圧倒した人間が、今度は平和になった世界でコミュニティに押し潰されもがき苦しむだなんて。
人は誰しもどこかで孤独を抱え生きるしかないのかも。