僕らが見上げる空は自由だ
人は縛られる。親に友達に家に職場に肩書きに文化に地元に国に金に命に、その他諸々に嫌というほど縛られる。
それでも、それでもまだ日本でこうしてニコニコ暮らしていけるだけ僕らは自由なのかもしれない。
食べ物は有り余っているから余程のことがない限り少なくとも飢餓に苦しむことはない。
着る服に困ることも多分少ない。
きっと比較対象がもっと想像もできないような生活になれば、普段僕が地獄だと思っているこの世界も少しはやさしく見えてくる。
目を軽く擦っても変わらないけれど、目の錯覚かなぁこれって。
あまりにも低すぎるハードルを見た後現実に戻ると、その温度差で火傷しちゃいそうになる。
夏なのに、オリンピックでアツい夏が真っ盛りなのにまさかこうして温かいスープが飲める生活が送れること自体に感謝する日が来るとは。
お湯を沸かしたらスープの素を入れて数分待てばもう完成。
温かいスープのできあがりだって。
だってさ日本って地底人目線だったら割と自由なんだよ。
ちょっといつもの所から目線を外せばこの毎日は意外と自由なんだって思えてくるんだよ。
日本は基本的人権で守られている自由が多いんだって(僕調べ)。
何を思ってもいいし、何を考えてもいいんだよ。
どんな神様だって学歴だって、信仰するだけなら罪に問われないんだよ。
どんなゲテモノ理論でも学ぶこと自体は自由なんだよ、みんな何を勉強してもいいの。
それに法律に違反しなきゃ昔だったら不敬罪になるような表現をしてもネットの炎上だけですむんだよ。
誰と集まってもいいの、密会したり秘密結社を創業したり超平和バスターズみたいな秘密基地だって自由に作れるんだよ。
ねぇ、そうなんだよね。
少なくともこれだけの自由が日本にはあるんだよ、意外と悪くなくない?
これだけ自由だったら、考えようによっては毎日がエブリデイなんだよ!
それでも多分いつか感謝なんか忘れるのかな、だって人間って一度その生活に慣れちゃうと、どうしてもそれが当たり前だって思っちゃうからさ。
一度ハードルが上がっちゃうと、その基準が当たり前になってしまうから。
コップで天上を塞がれたノミが学習生無力でいつもみたいに天高く跳べなくなるのと逆で。
母豚のミルク争奪戦を兄弟豚に負けて端っこの少量のミルクで満足しちゃう子豚の逆で。
そしたらまた、何も無かったように温かいスープが飲めるような当たり前に感謝するのを忘れてしまって、いつもみたいに身近にある苦しみから傷ついたりするんだよね。
それは誰かにとっての当たり前じゃないかもしれないのに。
それは誰かにとって喉の奥から手が出るほど望ましい、まるで御伽噺みたいな天上の生活かもしれないのに。
今こうして表向きは平和に過ごしている生活が誰かが心から夢見ていたものだとすれば、でもやっぱり感謝しなきゃ、ありがとうって言わなきゃ、報われないのかな。
結局それが決まるのは親ガチャだからやっぱり親ガチャって大事だね。
上を見たら上はいるけど、下を見ても下もキリがないのかなって。
ホントなんなんだろうね人生って。
もういっそ楽にしちゃってさ。
大空に翼を広げ飛びたいな。