やりたいことをやればいい
「どうせ無理だ」「やめやめろ」「お前にできるはずがない」「才能ガー」「お前にはどうせ無理なんだからもうやめろ!」
そうやって人生にチャレンジすることを、挑戦することを誰かに否定されてしまいそれらを真に受けて夢を叶えるステージにすら立てなかった悲しい運命にある人の多いこと多いこと。
実際僕もそうだ、上記の言葉に対してなんだか色々とデジャヴがある。
でもそれで、言葉を鵜呑みして挑戦せずに、チャレンジせずに燻っていたらそのまま腐るだけだ。
腐って干からびてダメになって、そしたら時間だけが過ぎ去っていくから何も変わらないし何も成長しない。
気が付かないうちに命のロウソクが溶けていってしまうだけである。
フォアグラになるためだけにグビグビと飼い主に無理矢理エサを胃へと突っ込み続けられるガチョウやアヒルも真っ青だ。
しばらく後になってあの時こうすればよかった、ああすればよかったと後悔しても先に立たず。
謎の秘密結社ならまだしも一般市民に与えられる今の技術じゃあ時間は二度と戻らないし、時計の針は左向きには回らない。
だからやってしまえばいいんだ。
好きなことを、追求したいことを想いのままに、好奇心を一直線に。
大体の場合、やった後悔よりもやらなかった後悔の方が大きいのだから。
後悔しても遅いのだから。
公共の福祉に反せず周囲に迷惑がかからなくて法的にも引っかからなければ思ったよりも大抵のことはセーフなのがこの国の方針だ。
やりたいことをやればいい。
それでも否定されるのなら、だったら一つの方法としていろんな立場の人に聞いてみよう。
百人聞けば百人同じ答えが返ってくることの方が少ないのだ、自分の世界を広げるためにも出会いは大事だ。
感染症が流行しているこのご時世でそれが難しいのであれば本を読んだりするのもいいだろう。
読書はいい。
一冊千円くらいで分厚い情報を手に入れられるのだ。
文庫本ならもっと安い。
本を買うよりもコスパが良い買い物は少ないだろう。
そうやって世界を広げたら、きっと見える世界は変わってくる筈さ。
そしたらきっと、千里の道に繋がっている一歩を踏み出せる。
一歩一歩を堅実に踏みしめて自分の人生を、道を歩こう。
今生きている人生が誰のための人生なのか、それを確かにしなければ生きてるとはいえないかもしれない。
どうせ最終的な判断は自己責任とやらになって自分に降り注ぐんだ。
しかも誰も発言に責任なんか持ってくれやしない。
誓約書もボイスレコーダーも日記もなければ証拠不十分になって鼻で笑われるのがオチである。
人は勝手に勝手なことをやっているのだから。
だったらやってみればいい、やりたいことをとことん最後まで。
周りの目なんか気にせずに。
新しい未来の自分へ。
殻を破って、目を覚まして。
寄り道なんかなしの一本道を真っ直ぐびゅんと超特急で。