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受験生が毎年毎年量産される件

アツい高校球児たちの熱狂的な甲子園をテレビで観て思った。
あ、決勝の智辯対決。
本当にどちらもお疲れ様でした。
実施二年目となる大学入試共通テストまで、実はあと半年もない。
夏という受験の天王山は終わりを迎え次に来るのは秋である。
一年というのは本当に経つのが早いと感じる今日この頃。
受験期になると毎年毎年やれ大学受験だの高校受験は〇〇県が最後だの中学受験のご家庭に密着取材だの学歴社会を尊重するような番組をテレビでは放送するが、上記したとおり毎年これをやるのである。
そう、毎年。
僕らが一つでも多くの英単語を覚えようとして単語帳にのめり込み問題演習を机にかじりつきながらやって、桜が芽吹く春はまだ来ない冬空の寒い中を脳をフル集中させて未来が人生がかかっている受験本番に臨んだあの頃。
それを嘲笑うかの如く受験生という生き物は毎年量産されていくのだ。
まるでベルトコンベアに乗せられて送り出されていく箱詰めされた商品みたいに。
もしかしたら受験生は代替可能な、そんなかわりがいるものかも知れない。
定員の枠をかけてペーパーテストやその他入試方法で他の受験生と競い合ってパイを奪い合う椅子取りゲームみたいなものだから、おそらくこの表現はそこまで大きく外れてはないはず。
でもって受験生とは受験という制度が実施される限り、某魔女化する魔法少女みたいに遠い未来にも離れた過去にも現れるのである。
これは紛れもない事実なのだが、人生華々しいうちは世界の中心は自分を軸に回っていると思いがちになるので忘れてしまう。
でもそうだ、受験生は毎年受験が実施される度に生まれ、どこからともなく出現するのである。
そしてこの事実はどこか悲しい。
あれだけ頑張ったのに、あれだけ受験に向き合ったのに過去は時間と共に流れて新しい時代を築いていく。
昔の受験話を語るのは夢と希望があって楽しいのだが、それも学歴コンプのままずっと、社会に出てもずうっと昔のまま十年も二十年もやっていくとなると少しヤバい気がする。
だって、実際に在籍していた年数より多いのだから。
中高一貫校は六年、学部卒だと四年、院卒でも合わせて大体六年、博士課程は詳しくないがGoogle大先生に聞いて出された文部科学省のデータによると標準は五年。
でもたったそれだけ。
長い道のりを経て准教授や教授とかにまで登りつめないと結局出身校と関われる期間はその間だけしかない。
人生はきっとこれから医療技術の発展で平均寿命が100歳まで伸びるみたいな予想もあるので、それをふまえると通学する期間は短すぎるわけでもないが長すぎるわけでもないのである。
学校の在籍者というのさ流れ落ちる滝の水のように入れ替わりで若い層が入ってくるのだ。
この強大なうねりはきっと誰にも止められやしない。
学校という箱のコンテンツは変わらなくとも箱を内部から動かす人員や集められた学生は変わり続けていく。
なぜなら人には寿命があってテロメアによって定められた活動限界時間があるから。
まあこうやって話しても、なんだか少し悲しいのだが。
ただ一つ言えることがあるとするのならば今を生きようということである。
タイムマシンの無い僕らには今と未来しか歩めないから。
そして過去でもなく未来でもない今を僕らは生きている。
今は今しかない、人生で一番若いのは今だけだから。

ということで、センチメンタルになるのもいいけど今を生きようという少し建設的なお話でした☆

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