夜明けが見えない

今年は宇宙元年とかマヤ暦の新年とか沢山の新年がある年だと思う。

ちょっと持ち直すと体調やメンタルが落ち込むというか、頭が働かなくて数日ぼーっとする。

私の過去には他人に誇れる明るさや華やかさが無い。

機能不全家族という言葉があるが、これに該当することに最近まで気づかなかった私は、児童相談所にも青少年対象の警察などの電話相談にも手を伸ばさず、もっと言えば長年いじめられっ子だった。

こういう過去を持つ人が少なくないことをTwitterで知った。

自分の家庭は貧富はともかくふつうだと信じて育つ両親持ちの子供は多いと思う。

何がふつうなのかよくわからないまま大人になり、結婚などで相手の常識は私の非常識だと互いに思いながら苦しむ人や職場で戸惑う人もおそらくは同じだろう。

少しずつ自分を俯瞰しながら刺さる言葉を見つめて咀嚼しながらの日々は苦しかった。

最近、吹っ切れたと思ったら過去が押し寄せる。

私は少し変わった子供だったかもしれない。例えば幽霊やUFOが見えた。
今で言うスピリチュアルが単に好きというだけでなく身近な日常だった。

インナーチャイルドのワークなどはここ2年ほどになってやり始めたが、両親や同等以上の目上の家族ともそういう話は出来たし聞いてももらえた。

もう大丈夫と思えたら、おさらいとして刺さる情報が入る。

グッサリ刺さった。私宛てでもなければ人を傷つけるものでもなかったのに。

私はその言葉を浴びせられ続けて8歳には死にたいと思ったし親にもその年齢の子供にしては異常なほど泣きついた。

その言葉を浴びせ続けた相手の子は、それぞれ家庭に問題があったことも後々うっすら聞いたし、自分のケアをしながらスピリチュアル的にも見えた。
だからといって私が何をされても良い訳がないが、過去のこととして許した先の出来事だった。

※いじめも虐待もネグレストもモラハラもパワハラも、子供の頃の出来事は孫が出来ても残る傷で、それほど重大なことなので、相手に直接「自分のタイミングで」「被害者として気が済むまで」怒りや悲しみをぶつけたり相応しいと思えるだけの謝罪や賠償を受けられない“こういうこと”に対し、私はまだ許せないし憎んでいると思っている方はそれで良いとかなり前にTwitterでも結論を出しています。

次に、とても些細なことで元夫を思い出した。
Twitterでもかなり毒を吐いたが離婚して離れても他人に戻れても押し寄せる過去は自分に近づき覆い被さる瞬間、鮮やかに鋭くくっきりと蘇る。

毎日どころか思い出す毎にいろいろワークをする。

そんな時にマヤ暦の新年を知る。同じ嗜好で集まった人も同じように過去が襲ってきたことや、おさらいとして過去の総決算だと励ましてくれる人や、成る程と思っても苦しいものは苦しい。

もうすぐ私の夜明けは来るらしい。それでも私には暗い夜中。

それでも毎日、朝というものはやって来て、月日はあっという間に過ぎる。私の1日はいつも短い。

いつか日の目を見た時に、まだ未明の不安の夜にいる人に、光をたとえ細い一筋でも良いので当てられたら良いと思う。そういう人になりたいと願う。

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