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国立ハンセン病資料館
去年の11月だったか12月だったか、東京にある国立ハンセン資料館を訪ねた。
国立ハンセン資料館とはハンセン病に関わる資料がまとめて展示されており、すぐ近くには全生園という実際の療養所もある。入口でいくつかのアンケートの質問に答え、最後にどちらからと聞かれたので〇〇県ですと言うと、あらまあ随分と遠くからと言われた。
資料館の入口に展示されているのはまず大きな映写機と消防服。
映写機はおそらく当時の映画館で使われていたものと同じではなかろうかと思われる。
ずいぶん贅沢なと思われるかもしれないが、そんなことはない。もう二度と園の外には出られないのだ。
療養所に入ったら二度と外の世界へは出られない患者たちのために、園内では定期的に映画の上映が行われた。
消防服はもし園内で火災が起きても、感染を恐れて、外から消防員が駆けつけてくれることはないから、自分たちで消火するしかなかった。そのため消防服も実際に消防署員と同じものが用意されていた。
なぜこれが入口の展示なのか。
感染者であった患者は二度と外へは出られなかったこと。外のひとたちが彼らと接触するつもりは一切ないということ。
患者たちにとって絶望的な2つの事実を象徴するものが、この映写機と消防服なのだ。
ハンセン病に感染したら、社会とは完全に遮断され、二度と戻れなかったという事実をまず入り口でぼくたちは知らされることになる。
その後はハンセン病の歴史、社会的背景、患者の生活、治療、文化等、カテゴリーごとに展示されていく。すべてを見終わるには2時間ぐらいだろうか。もっと丁寧に見たら、3時間ぐらいかかるのではなかろうか。
患者たちにとって、ハンセン病と診断されたら病の痛苦そのものはもちろん、なによりも社会や縁戚から完全に隔絶されてしまうことが辛かったはず。
ハンセン病を病んだまま逝去した作家北条民雄は書いている。
でも誰かが言ったではありませんか 、苦しむためには才能が要るって 。苦しみ得ないものもあるのです。
—『いのちの初夜』北条 民雄著
苦しみ得ないものとは、外の世界にいるぼくたちだ。
生前から北条民雄を気にかけ、死後には遺体を引きとり、作品集を編んだのは川端康成。
彼がなぜそこまで北条民雄に関わろうとしたのか。彼もまた孤児であり、一度は社会や縁戚とも隔絶した存在だったからという見方もある。
いままさに現在進行中のCOVID-19にもこのハンセン病と似たようなことが起きている。
感染したことを社会に謝罪したり、感染したひとの家に投石したり、引越しせざるを得なくなったり、他県ナンバーの車にいたずらしたりと、差別的な事例が次から次に起きている。
東日本大震災のときにも福島県から移住したひとたちが同じような嫌がらせを受けた。
ヘイトスピーチの問題も解決はしていない。
そうした問題がおきるたびに、世の中にはひどいことをするひとたちがいたもんだねなどとまるで他人事のような空気に紛らせてしまうのにはもううんざり。
向き合うところをはき違えたようなことが起きるのはなぜなのか。向き合うべきことははっきりしているのに、ハンセン病の問題はすっかり解決したかに見えて、社会はなにも変わっていなかったと思わざるを得ない。
広島や長崎の原爆資料館を訪ねるように、ぜひともハンセン病資料館も訪ねてみてほしい。
不謹慎な言い方になるかもしれないが、見応えはたっぷり。濃密な時間が待っている。訪れたあとには何冊もの本を読み終えたような、長い長い一本の映画を見終えたような、ずっしりとした重みに身体が包まれているのを感じることだろう。
コロナの時代はいままで以上に歴史を振り返り、人々が受けた苦難の日々について改めて考えなくてはいけないときにきている。
ぼくはそう思う。