4年ぶりの帰国1
コロナと戦争に翻弄された4年間の沈黙を破って、家族で7月の3週間ほど日本で休暇を過ごしてきた。今回は4年ぶりの帰国について書いてみたいと思う。
気になる飛行機代・航路
近年の物価上昇や不安定な情勢が追い風となって(家計にとっては向かい風)、飛行機代が離陸直後の飛行機の如く上昇しているというのを方々で聞いていたが、今回の飛行機代は3人家族で往復42000ノルウェー・クローナ(1NOK=13-14JPY)。覚悟はしていたがまさか4年前の2倍もするとは。
今回乗ったのはフィンランド航空でヘルシンキから関西空港まで12時間(ノルウェー・ベルゲンからヘルシンキまではWiderøのプロペラ機)。フィンランドから日本〜欧州の所要時間が再び10時間の壁を破ることはいつになるのだろうか。世界の平和を心から願うのみである。
混迷を極める現在の情勢では某国の上空を飛行することはできないのでヘルシンキから北極上空を飛行する航路と聞いていたが、飛行機は離陸してしばらくすると航路を南にとる。一体どこを飛んでいくのかと機内モニターを随時チェックしていると黒海・カスピ海上空から中央アジア・中国へと抜けていく東方見聞録を彷彿とさせる航路であった。
機内食に若干の経費削減の香りがするも、新旧の映画を取り揃えた機内プログラムのおかげもあってハムナプトラを見終わる頃には飛行機は瀬戸内海から関西空港に向かって下降していた。
関空に到着
着陸後は特に混雑することなく国境を越える。空港ビル内はまだ空調が効いていて涼しかったが、関西空港駅への通路へ出ると空気中の全ての水分子が体にまとわりつく感覚が。常に天花粉をまぶしたかのような心地よい湿度に包まれる北欧に比べて、本州の夏は20数年近く経験済みとはいえ、着ているTシャツを今すぐに破り捨てたくなるほど。空港から出た息子の第一声の「あっつ!」にその全てが集約されていた。
国内移動
最初の目的地は妻の実家のある神奈川県で、息子の好きな鉄道で移動することに。流石に在来線を乗り継いでいくほど鉄分濃度は濃くないのでまず関空特急・はるか(下の動画参照)で新大阪まで出てそこから日本の誇る新幹線で一気に神奈川まで。
列車に乗ってしまえば機内よりもゆったりとした快適な旅がお届けされると思い込んでいたが、ここでも日本の夏の洗礼を受けることに。
関空を発車して泉佐野を過ぎたあたりで列車が急に線路上で停車。外を見ると硬い幹の常緑樹が柳の枝のように風にあおり倒され、窓には洗車しているのではないかと見紛うほどの水が上から下へと流れていた。どうやら和歌山県から大阪府にかけて発達した積乱雲群がかかり天気が急激に変わったらしい(下の図参照)。車掌から状況説明のアナウンスが何度かあったが、結局70分遅れで新大阪に到着し、予定していたのぞみに乗れる望みは完全に絶たれた。
しかしそこは質の高いサービスに定評のある日本の鉄道会社。みどりの窓口で事の顛末を説明すると、後発の新幹線に無料で振り替えていただいた。気象という天地創造の神に逆らう以外にどうにもならない理由で列車が遅れてしまったにもかかわらず、みどりの窓口やはるかの車掌にはこちらが心配になる程謝らさせてしまった(勿論、こちらは振替可能かどうかを声を荒げる事なく伺っただけ)。気候科学を生業とする者として何か貢献できないかと立ち往生するはるかの車内で密かに思考を巡らせたのはまた別の話。
新大阪からは遅れた時間を取り戻すかのように時速200km以上の速さで東海道を東へ駆け抜けていく。自分の実家の新幹線最寄り駅をも遠慮のかけらもなく通過。2時間ちょっとで新横浜に到着。この時点でベルゲンの自宅を出てからほぼ丸一日。当然疲れているであろう息子は改札口に義父(彼からすると祖父)を見つけるとコロナと戦争に翻弄された4年間を一気に飛び越えるように義父に駆け寄り抱きつく。この瞬間だけでも長時間かけて帰国してよかったと思える。遅れて義母も合流し、義実家にお邪魔させてもらうことに。息子は極度の興奮からか夜中の12時まで義父の用意してくれた鉄道模型や新大阪駅で購入したミニカーでの遊びに興じ、その後ようやく就寝することに。
続く。