「福祉」という壁
こんにちは。プディングです。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
まだまだ暑い日が続いていますね。私の住んでいる地域は国内でも特に暑さが酷いので、通院以外は巣篭もりしてます。
そして最近暑さのせいなのか、モヤモヤというか怒りまではいかないけど言語化が難しい感情に覆い尽くされております。
その中のひとつがね、車椅子と福祉についてです。
私は普段、外出するときは必ず電動車椅子を使用しています。
スーパーやショッピングモール、病院などどこへ行くにも車椅子は欠かせません。
でもね、すごく語弊のある言い方をすると、私歩けるんですよ。
「短距離を短時間なら」という条件付きで。
例えば、家の中の移動やコンビニで数分くらいの買い物なら健常者と比べるとかなりゆっくりではありますが、一応歩くことはできるんです。
もちろん、自力で立位と座位が保てるのはとてもありがたいことです。が、社会を自律して生きていくにはこの特性は少々厄介でもあります。
ちなみにこの場合の「じりつ」は自立ではなく『自律』。
自分を律する、つまり自分のことは自分で決めてそのことに責任を持つということです。難しいことを言っているようですが、大人として当たり前のことですね。
さて、話が逸れましたが、なぜこの特性が厄介かと言うとまず、周りから理解されにくいということです。
これは一部ですが、「歩けるなら車椅子必要ないじゃん。」と思う人が少なからずいます。特にリアルで私のことを見たことがない人は、歩けるなら歩けばいいのにと思う人もいると思います。
でも、そうじゃないんです。
例えば、突然ですが皆さんは膝立ちできますか?もしできたとしたら、その状態でずっと歩いてみてください。家の中でも外出先でもずっと。だんだん辛くなってきますよね。私は膝立ちできないので想像ですが、スピードが遅くなるのはもちろん、膝も痛くなったり擦りむけたりすると思います。
私にとって歩くとは、そういうことなんです。短時間ならなんとかできるけどとても大変なこと。
また、私は幼い頃に足の指の皮膚が癒着してしまっているので、足の大きさも子供の頃からほとんど変わらず踏ん張りもききません。この足で、身長138㎝体重43kgの現在の体を支えるのは、正直容易ではありません。
これを無理して歩くと、足の裏に水疱ができて剥けたり、一度剥けたら半年〜1年治らないなんてこともザラにあります。
ある時の少しの無理を、その後の人生の長期間引きずることになるんです。
ここまで長々と書いて来ましたが、これを分かってほしいのは上で書いたような一部の人以外にもいます。
それは自分の住んでいる地域の福祉です。もっと広いことを言ってしまうと国内です。
私は車の運転をするのも難しく、誰かの送迎がないと家から出られません。そんな障がい者を送迎してくれる福祉のシステムは実際にあります。
しかし、残念ながら私はその中に該当しませんでした。「知的や発達に障がいはなく、短距離なら歩けるから。」という理由で。
仕方がないので、今はどこにいくにも親に送ってもらっています。ごく稀に、免許を持っている友人が乗せてくれることもあります。
これはありがたいことですが、この日々も永遠には続きません。歳の順で言えば親は子どもより早くこの世を去りますし、友人には友人の人生があって私のためにいつも動いてもらうことはできません。
そうなったとき私はどうなるんだろう?という、明確ではないけどいつか必ず来る現実に、今は頭を抱えるしかありません。
難しい現実ですが、私と同じような問題で困っている人は、私が思っているより多くいるんじゃないかと思っていたりします。
一見ありがたい福祉の制度。もちろんそれに助けられていることも大いにあって、でもその反面、「福祉」というふるいにかけられてそこから落とされてしまう人も、意外と隠れているんじゃないかと。
そしてそんな仲間がいたら、私は仲間のために何か行動を起こしたいなぁなんて、漠然とした使命感をちょっとだけ感じていたりします。
時の流れは早いもので私もあと1か月ほどで、22歳。
普段は右脳でお絵描きや制作ばかりしていますが、たまには左脳を使って行動を起こしてみたいなと。
最近はこんなことを、Mrs. GREEN APPLEの「鯨の唄」を聴きながら、考えていたりします。
もし行動を起こす時が来たら、みんな応援してね。
1人じゃ色々とこわいからね。よろしくお願いしますね。
ということで、ここまで長文を読んでくださりありがとうございました。
またね〜。