未来はだれにもわからない
未来はだれにもわからない。
私がはっきりと、これはジストニア(書痙)だなと思ったのは20代後半、四半世紀前のことだ。
当直をしていた病院の書棚に医学辞典があり、書痙は治らないと書いてあって絶望した。
症状はもっと前からあって、おかしいなと思っていたけど、人に迷惑をかけているわけじゃないし、まあいいだろうと、私は自分に寛容だった。
それが、転職した先に、私のこの状態が迷惑という人が出てきて、絶望の淵に。
仕事を辞めてしまった。
最近仕事を辞めたのも同じような理由。
(次の仕事まだ見つかってません)
20数年前に仕事を辞めて家で腐ってた時に父に言われた。
「医学が進歩したら、治らないと言われる病気も治るかもしれない」
父に何がわかる!
と私は反発した。だって医学辞典にも書いてあるし、仕事柄(薬剤師)、多少の病気に関する知識はあり、父に説かれるほど自分は無知ではないと思っていた。
そんなことも忘れて、それから20数年すぎた今、完治とまではいかなくても、8割がた治癒しているではないか。生活上、困ることはほとんどなくなった。
(今まで包丁やお箸や書字など、症状はかなり進行して大変だったよ)
見えない未来を嘆いたことも多々ある。
でも、自分では努力しなくても、そういう未来はふとした瞬間やってくることもある。
そのために乗り越えなきゃ行けない決断はあったけど。
未来のことはだれにもわからない。
見えないから不安になるのではなく、見えないからこその可能性があるかもしれない。
人生いつどんな方に転がるかわからないね。
それを生きているあいだに知ることができた自分はとても幸せだと思う。
これからもいろいろなことを諦めないで生きていきたい。