どこからでも切れますはどこからも切れない
「こちら側のどこからでも切れます」
このような小袋に出会ったことはあるだろうか。
所謂マジックカットと呼ばれるこの袋のシステムは、かなりの確率でバグを起こす。
どこからも、切れないのである。
添付した見出し画像を見ていただきたい。
何度も切っているのに、タレが入っている部分まで到達しないのである。
自分はこの表記に何度も騙された。
ところてんのタレ、餃子のタレ、醤油、柚子胡椒に至るまで、ことごとく自分を嘲笑ってくるのである。
いつもこちらは「どこからでも切れます」の表記に騙され、素直に実直に開けようとしているだけなのに、彼らはそんな自分をイライラさせる。
むしろキレたいのはこっちなのである。
そこで、マジックカットの闇を解明すべく、Google先生にその仕組みを問うたところ、こちらの回答が返ってきた。
“マジックカットは、包装フィルムの表面に無数の小さな穴を開けることで、どこからでも切れるようにしています。
マジックカットの仕組みは次のとおりです。
フィルムの表面に、トゲが付いた加工刃を押しつけます。
0.2~0.3ミリ程度の小さな穴が無数に開きます。
両手で袋を摘み、一方の手を手前、もう一方を奥へと縦方向に互い違いに交差させるように引っ張ります。
最も力が集中した部分の穴が起点となり、切れ目が広がります。
マジックカットは、物理学の応力集中を応用した技術です。”
なるほど、それでどこからでも切れると表記しているのか。
しかし、ここには小さな無数の穴以上に大きな落とし穴があることに気づいた。
穴が消える境目の部分からは、「マジックカット」ではないのである。
つまり、「こちら側のどこからでも切れます」は、どこからも切ることはできるが、その切れ込みが内容物まで到達することは無いのだ。
自分は、そんな秘密も知らずに袋より先にキレていたことがとても恥ずかしくなった。
胸が張り裂ける思いである。
でもなぜ、そのようなややこしいシステムを開発したのだろうか。
ここからは自分の想像の話になってしまうが、
つまりこのマジックカットは、それが書いてある小袋に限った話では無いのではないだろうか。
もっと壮大で、多面的な性質を持つものであるのではなかろうか。
現に、自分はイライラして“キレ”てしまったし、朝など時間が無い人にとっては時間“切れ”になってしまう。
すなわち、「どこからでも切れます」という一言は非常に深いものなのである。
何が切れるとは言わず、“どこからでも”切れます、というように言葉に含みをもたせることで、その境界を曖昧にしている。
実に深いメッセージなのである。
きっとこのメッセージを読んだ殆どの人間は、「この袋の」を頭に付けて解釈し、切れないことに勝手に憤りを感じているのだろう。
しかしそれは我々人間の自分勝手な解釈に過ぎず、とんだ自己都合の浅はかとも陋劣とも言うべき行動なのである。
この「マジックカット」、本当に恐ろしいが、我々に人生の難しさと我々人間の軽薄さを身を持って教え諭す存在なのだ。
自己都合で勝手な人間は、主語がないと自分の望む主語を勝手に当てはめて、その期待を裏切られると理不尽に怒る。
更には、内容物があるところまでスムーズに切れると勝手な期待をし、結局目的の内容物が出てくるまでは切ることができないとわかった途端に、“裏切られた”気持ちになる。
もう、マジックカットには完敗である。
これを開発した方は、本当に聡明で、現在の人間社会を俯瞰して見ることができたのだろう。
本当に奥深いことを考える。
きっと誰よりも頭がキレているんだろう。
~完~