飽きた



…飽きてしまった。ブログを書くことに。




三日坊主とはこのことである。
だがむしろ、3日も続いたのは珍しいことでもある。

自分は自己紹介(?)でも言ったとおり、極度の飽き性である。

例えば、中学2年生の頃、絵を描くことにハマり
ペンやノートを集めては絵を描き続けたが、現在その画材たちは化石と化している。
メルカリで売れるほど綺麗に保存(放置)されているものも多々ある。

他にも、お菓子作りにハマったときもあったが、現在自分のロッカーには賞味期限切れのココアパウダーが箱ごと保存((←放置))されている。

スライム作りにハマったときもあったが、現在大量の液体のりが離婚した元父の家に放置(保存)されている。

とまあこんな具合である。
お金をかけた物でさえ急に熱が冷めてしまうのだから、手軽に始めたブログなんて冷めるのは本当に一瞬なのだ。

しかし公に(?)ブログを始めます!なんて自己紹介までして、X(旧Twitter)でも「ブログ始めました」と言ってしまったのだ。
ここで食い下がるわけにはいかない。

特に需要があるわけでは無い(寧ろ全く無い)が、なんとなく自分のプライドが許さないのである。
(なお、このプライドが「もうどうでもいいや」に変わるのも時間の問題である。)


まだ自分の中で温めておきたかったが、ADHDの話をするしかないのだろうか。

ただ、この話題は非常につまらない。
ADHDの人は共感してくれるだけだろうし、そうでない人は「は…?」で終わるだろう。

なんとかして面白いことを書きたかった。
悔しい。


地球のみんな、少しずつでいい、オラにファニーを分けてくれ!!

と元気玉のようにオモシロ成分を掻き集めたいところであるが、自分はまだその能力を獲得できていない。

由々しき事態である。

とまあ、お気づきの方もいるとは思うが、ここまでの文章は全て、「書くの飽きた」という内容をただただ引き伸ばしているだけである。


ここまで読んでくれた根気強いあなたには、ただひたすらに申し訳ないので、中学3年生のときに担任の先生に卒業文集を突き返された話をしようと思う。



😀😀😀😀😀😀😀😀😀😀😀😀😀😀😀😀😀😀


時は4年前、中学3年生の冬のこと。

3年生は3月ににむけて、卒業文集を書き進めていた。
しかし自分は書けることが本当になかった。
 
書くことが無いと言えば嘘になるが、卒業文集には到底似つかわしくない事しか浮かばなかったのである。

人間関係のいざこざでうんざりしていた1年生。

段々楽しくなってきた部活で顧問が人間関係の劣悪さや練習の熱量の低さにブチ切れてた2年生。

コロナで体育祭も修学旅行も授業も何もかもできなかった3年生。


酷い。酷すぎる。
おれの記憶を呪った。
なんでこんなにネガティブなことしか出てこないのか。

嘘でも捏造して良い事を書くべきなのは解っていたが、プライドもとい厨ニ病が邪魔をして、優等生にはなりきれなかった。

我「先生、卒業文集、何を書けばいいですか?」

担「何でもいいよ。本心をそのまま書けばいいの。」


そこで、閃いたのである。
卒業文集に書くことが無いこと、書く必要性もわからないことを正直に書こう、と。


内容を要約するとこんな感じだ。
「卒業文集を書こうにも書くことが無い。そもそも書く必要性とは何か。思い出を残したい人が書くべきであって、強制するのは違うのではないだろうか。」

うん。酷い。
クロちゃんもびっくりな酷さである。
きっと、あのハイトーンボイスで「え~?それはないよぉ~」と文句を言うだろう。


しかし厨ニ病とは手強いものである。 
提出したのだ。なんの躊躇いもなく。


そして翌日、帰りの会が終わったあと……

「ぷりんさん、このあと私の所へ来るように!」

シャキッとした担任の声。

…あぁ、終わった。詰んだ。


しかし原因は自分である。
こうなってしまっては戦おうと決心した。
 

あのときの記憶は鮮明に残っている。

「ぷりんさん、なんで呼び出されたかわかってるよね?」

我「はい。文集ですか?」

担「そうだね。なんでわかってて提出したの?」

我「本心だからです。私は書くことがネガティブなことしかありませんでした。それなのに、楽しかった記憶を捏造して書く必要性はあるのでしょうか。」

担「ぷりんさんは中学校生活、楽しくなかった?つまらない事しかなかったの?」

我「いいえ、楽しいこともあったとは思います。」

担「ならそれを思い出して書きなさい!!」

我「わかりました……
  先生、例えば、何を書けばいいですか?」

担「何でも良いって言ってるでしょ!」

もうこれ以上は無理だ、と思った。
何でも良いの“何でも”とは。

当時、人生で社会の理不尽さをこれほどまで痛感したことは無かった。

本当に思い出せないのである。
先生たちには嫌われていたし、友達もほとんど居なかった。
本当に友達として関わっていたのは、師匠(←ありがとう!ありがとう!😭😭😭😭♥♥♥♥♥♥)と、数人のクラスメイトのみ。
しかも括りはハブられものの集い(?)のようなものであった。(そこまで酷くはなかったが、ちょっとした仲間外れなどがあったので)

かなりダークな、というかネガティブな人間関係ばかりだったし、はっきりと楽しかった唯一の思い出は、大好きだった理科の先生を密かに追っかけていたことくらいだった。


オワタ‼️‼️‼️\(^o^)/(←死語)


何を書けばいいのか。
必死に絞って捏造したと思う。(記憶無くしたゴメン)

そして、提出しに行った。
……合格、だった。

よかった。嘘でもいい事を書いて。
嘘バンザイ!!と変なテンションになっていたとき、また説教がはじまった。

~~ここでひといき~~

思った以上に長いね!?!?
なんの為にもならないからもう読まなくていいです!!!!!!!
収集つかなくなったので自分のために最後まで書くけど、読まなくていいです!!!!(2回目)

ぷりんがたっぷりん!!!🍮🍮🍮

~~続き~~

担「ねぇ、やればできるのに1回目のアレは何!?読んだ人がどんな気持ちになるか考えてるの?」

我「ごめんなさい。将来クスッと笑えるかもとか考えていました。」

担「そうじゃなくて!これを集めて卒アルを作るPTAの方々がどんな思いをするかって聞いてるの!」

そうきたか。
なるほどPTAの人が読むのか、これは。

我「えっ…か、悲しむ、とか…?」

担「そうだね。私も悲しいし、PTAの人はもっと悲しむでしょ?こんな文章書くなんて、人の心が無いよ。酷い。ちゃんと考えてね。1回目のやつは、私が捨てときます。」
 


…………えっ……………………………
人の心無いって、酷くね?

てか、捨てるの??????🙃


そのままおれの本当の(?)卒業文集は返ってこないの??????????


てか、卒業文集ってPTAの為に書いてたの
?????????????????


謎は深まったまま、この珍事件は混沌の中に放り込まれたのである。




…どうしよう、オチがない

本当に飽きてしまっている……

オチが無いのでお蔵入りにしようかと思ったが、せっかく書いたし誰に迷惑かけるわけでもないので公開しようと思う。


ごめんなさい。

ちなみに、ホタテの目って80個あるらしいです


~完~


いいなと思ったら応援しよう!