思い出はいつの日も雨。
最寄り駅を出た。その瞬間の景色は信じ難いものだった。
雨が降っていた。嵐の前の嵐。
「チクショウショウ♪チクショウショウ♪」
頭の中で音楽が流れ出した。雨の音がノイズとなって演奏の邪魔をしてくる。
ぼくは雨が嫌いだ。恵みの雨だとか憩いの雨だとか救いの雨だとか言うけど、傘の横からこんにちはしてきて足下や荷物を濡らすから雨は嫌いだ。
あれは中学校の帰り道。めちゃくちゃに雨が降っていた。雨と風のコラボレーション。土曜日と祝日が被った時くらい凹む。
リュックはびっしょびしょになった。中には教科書やノート、ワークが入っていた。もうふにゃんふにゃんのへにゃんへにゃんになっていたと思う。傘はさしているのに、めっためたに濡れる。可哀想な僕。
泣きたくなった。泣いてたのかもしれない。それもわからないくらいに濡れた。
これが日本一晴れが少ない金沢に生まれた使命なのかもしれない。ただ、その分晴れが大好きになった。特に冬の快晴は何にも変え難い幸せな気分になれる。
ぼくの中には冬の快晴というものはほぼ存在しえなかった。全くもって日本海側で冬に晴れないということではないが。感覚的に。
ここ4年間毎年見ている冬の快晴は、本当に気持ちがいい。関東の冬は乾燥がひどいけど、その分晴れが多くて感動する。
この快晴の感動は、過去の雨から来ている。つまり、あの気持ちの良い思い出も、もとは雨なのだ。
人間は比較してモノ、コトを認知する。それは仕方のないことであり、そうするしかないのだと思う。