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大牟田未来共創センター:「匂い」を呼びさます地域経営 〈前編〉

ファシリテーターか当事者か。地域でデザイン活動をする際、地域に入り込み当事者になることが、成果を出すためのセオリーとして語られることがある。実際に地域の方から「こちらの地域の出身者はいませんか?」と訊ねられたこともある。情熱を持つ適任者を探すよい方法だと思う。一方で、それは地域とデザイナー双方にとって、情熱に依存した窮屈な構造ではないか、とも感じていた。
そんななか、今回の取材では、福岡県大牟田市で大牟田未来共創センター(愛称:ポニポニ)という地域に根ざしたリビングラボの運営に携わっている原口 悠氏、木村 篤信氏にお話を伺った。東京と大牟田の二拠点を往き来しながら「パーソンセンタード」というコンセプトを軸にした地域活動をしているというお話を伺い、アウトサイダーでありながら地域に深く入り込み周囲を巻き込んでいくような、ファシリテーターでも当事者でもない、新しい地域との関わり方の可能性を感じ、実際にどのような考え方で活動されているのか詳しく伺うことにした。
取材では新しい地域経営をどう実現しているのか、とくにその背景にどんな考え方や想いがあるのかを深掘りして伺った。

原口 悠氏
一般社団法人 大牟田未来共創センター 理事。東京からひと月の半分大牟田市に通い、事業の方針策定についての検討と実行を担っている。30歳ごろビジネスと社会活動を統合するためNPO法人「ドットファイブトーキョー」を立ち上げ、ビジネスパーソンを高齢者施設や障害者施設にアテンドするなどの活動を行ってきた。その後、さまざまな研究事業や大学との連携プロジェクトを実施しながら大牟田市との関わりを深め、現在に至る。

暮らしの全体をとらえ、横断的アーキテクチャをつくる

小山田:早速ですが、大牟田未来共創センター(以下、ポニポニ)の活動について、簡単にご紹介いただけますか?

原口:ポニポニは、大きく言うと「新しい地域経営の実現」を目指している取り組みです。活動としてはいろいろやっているんですが、そのなかで大きいのは、政策形成に関与するというところですね。大牟田市の「健康福祉総合計画」というものを行政と一緒に作りました。
あとは、暮らしに根付く福祉的な事業として、今年度から地域包括支援センターを2つ運営しています。大牟田市には地域包括支援センターが6つあるんですけど、その内の2つですね。
今回の対話のテーマにもなると思うんですが、「社会システムのエラー」みたいなものがどこにあるのかということを意識していて、福祉の世界だと「狭間の問題」と言われたりする(※1)んですが、そういう狭間の問題にできるだけ取り組もうとしていて、その代表的な活動として、市営住宅のコミュニティ支援をしています。

※1:たとえば、適用基準を満たす生活保護受給者は最低限の生活費用が担保されるが、ワーキングプアと呼ばれる、正社員やフルタイムで働いているにも関わらず生活保護の水準以下しか収入が得られない方がいる。このような制度上対応ができていないケースを制度のはざまの問題などと呼ぶ。

あとは企業、特にNTTとの協働をずっと続けていて、今年度からは企業との協働をしっかりやっていきたいと思っています。
最後に、文化会議という形で研究者の人たちと議論したり、違う地域で先進的な取り組みをしているような人たちと対談しています。地域の経営において、国から発せられる内容に対して、地方が従属的に取り組む形だと次につながらない。地方行政の自由度が高まったり、政策が転換していたりすると思うので。そんな状況のなかで、高齢化が全国より20年も進んでいると言われる大牟田市においては、考え方を深められそうな有識者と議論をして、自分たちでしっかり問いを立てて、いま何が本質的なテーマなのかを考えていく必要があると思っています。それは結局、社会システムを捉えなおすための知見になったり、その後の展望を描くための材料になったりするのではないかなと。

小山田:なるほど。基本的には政策形成と、どうやって政策形成するかを考えていくという両軸でしょうか?

原口:政策にはコミットするんですけど、政策形成は目的というよりは、まさに新しい地域経営を考えるための考え方になる感じですかね。
政策にも限界があって、人の暮らしを全て決めることはできないので、あくまで全体ではなく部分なんですよね。ただ、産業政策の場合には企業や民間側に主導権があるんですが、福祉の場合には制度がある程度暮らしの枠組みを決めていったりするので、全体の概念というか領域を規定する部分は大きいと思います。今回作った「健康福祉総合計画」というのは、これまでの9つの計画(※2)を統合した暮らし全般にわたるような計画になっています。

※2:(1)地域福祉計画、(2)自殺対策計画、(3)障害者計画、(4)障害福祉計画、(5)障害児福祉計画、(6)高齢者保健福祉計画、(7)介護保険事業計画、(8)健康増進計画、(9)食育推進計画、という9つの法定計画を一つにまとめた。

小橋:健康福祉総合計画というのが、行政の縦割りを横断する全体アーキテクチャみたいなものになっていると思います。通常、行政の取り組みだと縦割りになることが多いと思うんですが、そのマインドをどう変えていったんですか?

原口:そうそう、まさにアーキテクチャみたいなものだと思います。行政のなかにそれぞれの所管課はもちろん存在しているんですが、今回の健康福祉総合計画は暮らしの側の総合計画みたいな形で「面」で捉えにいってると思います。章ごとに担当を分割すると縦割りになってしまうので、計画の構成としてはまさに人間を中心としたような構造になっていて、2章が縦割りを横断した基本目標と施策、3章以降で分野ごとに切り出して再掲するような構成になっています。

通常の計画は縦割りの組織構造を反映してしまうが、人間中心に部門横断的な計画を提示し、分野ごとに切り出した

ただ結局初めての取り組みだったので、不十分と言えば不十分。統合しに行けているんですけど、指標が立て切れていなかったりとか、ロジックモデルが描ききれてないというのはあります。統合的に取り組むための方法までは書ききれてないので、これを立てた後に行政内部に専門部会みたいなものを作ってもらいました。それを作ったのが、行政側のマインドチェンジを担った1人の職員。その人は異動になっちゃったんですけど、彼が置き土産的に専門部会を立ち上げてくれて、4つの基本目標ごとに、平均すると5部署くらいからなる部会を作ってくれました。それぞれのトップに課長がついてるんですが、内部の部会員は部署横断的に構成されています。
僕がいま、全部の部会に張り付いて計画推進の部分にパートナーとして入っています。それによって、縦割りを概念上は打破できているんですが、結局進め方に依存するので、それをコレクティブインパクト的にどう進めるのか、というところで現在試行をしています。

小橋:そのマインドチェンジに関わった行政職員の方はキーマンになりそうですね。

原口:そうなんですよ。僕の言ってる内容って、結構、先取ったり構造的だったり、自分のなかでは見えている絵から逆算してしゃべっちゃうのでよくわかんないって言われるんですけど。でも各分野について、政策的に抑えるべき1,000ページぐらいの資料を全部リストアップして彼にも読んでもらいました。もちろん僕も全部読みました。それぞれの分野で、国とか先進的なところで何が論点として議論されているかということを共有して、ぐっとわかってくれたというか、一緒に進めるパートナーになってくれたという感じですね。

誰かを助けるという意識は「ひっくり返ってる」 

小山田:そもそもですが、原口さんが大牟田の取り組みを始めたきっかけはなんだったんですか?以前、ほっとあんしんネットワーク模擬訓練(※3)の視察に我々も一緒に行ったことがありましたが、そこがきっかけだったんでしょうか?

※3:パーソンセンタード・ケアの考え方にもとづき、認知症の方が安心して外出できるまちをつくるための取り組みのひとつ。大牟田市の校区ごとに開催される認知症の方に対する家族からの通報、連絡、捜索、発見、保護といった一連の流れを実際にシミュレーションする活動。

原口:そうですね。僕が東京でやっている取り組みを、地域包括ケアの文脈で発表させてもらった際に学者さんや官僚の人など、国でやっている地域包括ケアの中心となっている若手の方たちとつながる機会があり、大牟田から厚労省に出向していたメンバーがいたんです。そこで、認知症のほっとあんしんネットワーク模擬訓練とか、大牟田の話をいろいろ聞いて面白いなあと思いました。
一番面白かったのは、「安心して徘徊できる町」という考え方。今はもう「徘徊」とは言わないのですが、徘徊させないんじゃなくて、どうやって安心して徘徊できるのかというコンセプトに共感して、行政職員や専門職のメンバーとも仲良くなったのがきっかけです。
その後、同志社大学の知り合いが「リビングラボの研究をしていてフィールドを探している人がいるよ」と紹介してくれて木村さんとつながったり、福岡のドネルモというまちづくり団体の代表を誘ったり、そういう経緯で仲間づくりしながら団体を立ち上げました。
もう一つの背景として、僕がその前に大学と連携して地域経営を支援する中間支援的な団体を立ち上げる取り組みをずっとしてたんです。
その構想と大牟田での出会い、木村さんたちNTTの取り組みがミックスして、ポニポニの立ち上げにつながりました。 

小山田:大牟田に以前伺った際に、認知症の方が「徘徊」するという行為は、思い出の場所を巡っている行為であって、すごく人間味がある行動なので、それをやめさせること自体がよくないのではないか、という話を聞いて、考え方の転換がすごいなと思いました。原口さんとしては、このような考え方は、もとから思っていたことだったのか、新しい気付きだったのか、どちらでしょうか。

原口:それ面白いですね。両方あるんでしょうけど、その考え方にシンクロしたんです。なぜかというと、大学を出て何かやりたいと思って会社やったりしたんですけど、最初うまくいかなかったんです。で、勉強しなきゃと思って、いろんな人に会いに行こうと思ったんです。本とか色々読んで、学者さんとかいろんな人に手紙を出して、そのなかの1つが、がんの患者さんとかご家族、遺族の方が集まっている、がんの患者会でした。そこにメールしたら「とりあえずおいで」みたいなメールが返ってきて。僕はその時何か役に立ちたいと思って行ったんですけど、行ったら息子のように扱ってくれたんですよね。いつもご飯食べさせてくれて、すごく愛されたんですよ。とにかくがんの患者会のなかですっごい愛でられて。
野宿の人たちとの活動をしていた時期もあったんですが、「ホームレス」と言うと、みんな怖いとか思うじゃないですか。でも実際はそんな人ほとんどいなくて、めっちゃ優しいし、みんな事情を持っていて。むしろ「自分が臭いって自分で思ってるから、区役所行けないよ」って言う人もいて。電話番号を教えてはいけないみたいな話もあったんですけど、ぼくはみんなに電話番号を教えたり、家を借りるときの緊急連絡先や保証人によくなっていたんですけど、一度も嫌なことはなくて。1回かかってきた電話が「原口さん元気?」っていう電話だったんですよ。「風邪ひいてない?」みたいな。
で、結局これってひっくり返ってるわけですよ。大概、可哀想とか迷惑な人って思い込んでレッテル貼ってるのは我々で、そんなことないよなっていうことは体感的にすごい分かっていて、大牟田の話を聞いたときに自分が感じていたこととシンクロしたんですよね。

小山田:なるほど。「ひっくり返っている」のは気づくのが難しいことな気がするんですよね。良いことをしたいと考えている方はとても多いですし、それを疑うわけでは全然ないんですけども。それが実は「弱者とそれを助ける人」という構造を肯定したうえで良いとされていることをしよう、という風になっているケースもあって。そこに対して外側から指摘をするのってすごい難しいじゃないですか。構造的にそれはどうなんだ、と指摘しても行為自体は良いことだし、自分自身でもひっくり返っていることには気づきにくいことだと思うので。幸運な出会いがそこにあったんだなという気がしますね。

原口:もう一つ言うと、自分たちが生きづらいからなんですよね。いま、小山田さんが言ったとおりで、助ける/助けられるとか、強い/弱いとか、正しい/間違ってるみたいな話じゃなくて、弱さは本当は全ての人が持っているんだけど、やせ我慢して既存の社会の枠組みのなかに何とかして踏みとどまっている。そういう状況の人たちのなかに、生活保護を受けている人を責めちゃったりする人が出てくるじゃないですか。「俺たち頑張ってるのに、なんであいつは楽してるんだ」って。でも、社会政策として本当にするべきなのは、その頑張ってる人達、踏みとどまって鬱になっても頑張って会社に行ってる人たちをサポートすることであって、論点が違うというか。この基準がどうだとかっていう数字の世界じゃなくて、誰かを責めないと自分が立っていられなくなっちゃってるような人たちこそ、本当は支え直さなきゃいけないはずなんですけどね。人には共通の弱さがあるから、本当は環境さえ整えば共感できるはずなんですけど、そこのズレみたいなのは感じますよね。
大牟田でもその後の経緯として、ほっとあんしんネットワーク模擬訓練が「困った人を見つける」モデルになってしまっているところもあります。ある方がおっしゃっていたのは、自分の団体のメンバーのなかに認知症の人が出て来たそうなんです。一生懸命模擬訓練をやってたんですが、いざ自分が認知症になったら、やっぱり家にこもってしまったんですよ。やっぱり探されたくないとか、声かけられたくないっていう風になってしまった。だからその(助ける/助けないといった役割の)モデル的転換は大牟田にも必要とされている状況だと思います。コンセプトは良かったんだけど、結局打ち手によって、そのコンセプトと違う結果を導いていったところがあって。 

「助ける」はときに「弱者とそれを助ける人」という思い込みを前提にしていることがある。逆に思い込みに囚われていた弱さを受け入れてもらうことで「ひっくり返っている」ことに気がつく

小山田:僕は禅の「人は何もしてなくても価値あるものだということに気づけ」みたいな教えがすごく好きで、支えにしてるところがあって。サービスデザインをやっているなかでも、価値あるものをつくるというのは日々やるんですけど、何もなくなったとしても食う、寝るだけですごい価値あるぜっていう、根拠のない自信をちゃんと持てるというのは立ち戻る軸になるなと思ってます。でもそういうことって教えられないというか、モデル化できないところが悩ましいなぁと思います。

原口:まさにそのとおりだと思います。結局、医療職とか介護職って「役割モデル」なので、やっぱりどうしても越えられないものがあるんですよね。つまり、自分の役割ではないことで困ってる人が目の前にいて、しかも誰もそれを助けていない状況の時に、(自分の役割を)よいしょって超えてパッとやるってけっこう難しいところがあって。僕なんかは「憑依する」って言うんですけど、憑依型なのでそういう時にわーっと行っちゃうんですよ。自分でやりきれなかったら仲間を募れば良いので。自分の背番号(役割)なんて関係なくて、まず飛び込めばいいじゃんって思う。憑依しながら向こう側の気持ちになって飛び込んだらいいんだけど、これが(誰でもは)できないということがまさに大きなテーマで、そこに「連携」の限界があると思います。本当にコレクティブにやろうとすると、そこの課題にぶつかるので、役割分担の人たちが集まるだけじゃ絶対変わらないよなっていうのは、我々もよく議論していて、まさにそういうことを超えられるリーダーや人材を育てないといけない。それは単純に言語的なものでは教えられないですよね。

(後編へ続く)



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