安心のつくり方 <呼吸>
<呼吸>
初めて心療内科に行った時、心理テストの絵を描かされた。私の絵は、刺激だけを求めている人間が描く絵だったらしい。初めての結婚と出産で4ヶ月くらいの赤ちゃんを抱きながら診察を受けていた私は、とても驚いた。だって赤ちゃんを抱えたお母さんって、ほんわかしたイメージのはずでしょう?だけど実際の私は赤ちゃんを抱えてたギンギンに緊張と不安でラリっていて、その緊張と不安を吹き飛ばしてくれるさらなる刺激を求めているような状態だったようだ。
先生は、そんな私の胸元から膝をブランケットで覆った。そして私の利き腕じゃない方の手で私の鎖骨や胸の上あたりを優しく触るように言った。そしてゆっくり呼吸するようにと言った。最初は、何のことかわからなかった。自分に手を当ててゆっくり呼吸するなんて、すごくありふれている気休めのヒーリングのような気がした。そんなヤワな治療じゃなくて、もっと明確なはっきりした治療や人生が劇的に変わるような厳しいアドバイスをしてくれればいいのになと内心思っていた。先生は、治療が終わって帰る私に「生活してて辛くなったら家でもやるといいよ 利き腕じゃない方の手で首元などの人体にとって大切な場所を触ることで誰かに抱きしめられているような安心感がするんだよ 呼吸をゆっくりするようにするのは、不安な時はだいたい呼吸が浅くなってるからなんだ 深く呼吸することで不安から自分を引き離すんだ」と言った。私は、「あ、はい」と返事をした。でも最初は全く実行できなかった。辛い時は、自分で胸元を触ったり呼吸をする余裕もなかった。頭の中から聞こえる声が苦しくて怖くて誰かにすがるように電話したり、メールしたり、ひたすら眠れずにいた。でも頭の中には先生が言った言葉が、あった。「安心を感じることが大事」。半信半疑だったけど、その言葉はずっと頭の中で引っかかっていた。そして、よくわからないまま、とにかくなんとか1日、もう1日、そしてもう1日・・・と毎日を無事に過ごすことだけを目標に子供や旦那と一緒に生活し続けた。1年くらいした頃、私の不安や緊張の引き金になっていた親類の人間関係の問題が解決した。ずっと私のせいだと思って苦しんでいた親類の人間関係の問題は、実は私は全く関係なかったことがわかった。私が心療内科に通いながら必死であと1日もう1日と穏やかに1年暮らしている間に、本来の問題があった親類同士の関係のほころびが表に出て崩壊し決着がついたようだった。私は何もしていない。私はただ自分の苦しさを受け止めて心療内科に行き、毎日をなんとか健康に穏やかに生きようと努めただけだ。その時初めて先生の意図していた「安心を感じること」の大切さがわかった気がした。そうやって自分を自分で面倒みながら毎日を重ねて生きていくことが、一番パワフルで大切なことなのだ。
自分の苦しさを自分で認めて面倒みることで、親類同士の諍いに巻き込まれずに逃れることができた私は、少し自信がついた。そして、やっと先生の勧めるままに素直に、呼吸をゆっくりしてみたり、自分の首や鎖骨や胸にゆっくり自分で手を当てたりするようになった。不安でも不安じゃなくても、そうすると体が温かくなり目の奥がスーーーーーッとするような気がする。そんな風に繰り返すうちに「自分を大事にする」っていうことはどういうことなのか「自分の安心する場所を作ることは大切なのだ」っていうイメージが体感として感じられるようになってきた。この「イメージを感じる」っていうのは、言葉で理屈を理解することなんかよりもとても大事だと思う。自分で感じて、育てた「安心」の感覚は、生きていき生活をする上での大切なモノサシになっていったような気がする。それは、自分を守るための勘につながる感覚で、言葉や常識やルールなんかよりももっと有効でパワフルなものだと思う。私は、今もこの継続してこの「安心」のイメージを育てて続けている。