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飯田有抄のショパコン日記14〜コンクールであることを忘れさせる奏者たち:ユートン&ユーチョン

いや、コンクールであることを、忘れていいものだろうか。でも、そうなってしまうのだから仕方がない。究極の音楽的表現に達する演奏は、もはやピアノという楽器すら”見えなく”なることがありますが(あくまで主観ですヨ!)、音楽性が極まった果てに、聴き手にとってはそれがどんなステージなのかは、もはや関係なくなるというか、そこにただ「音楽がある」という真実にだけ向き合う体験になります。めったにない。

そんな、めったにたいことが、ショパンコンクールほどのステージともなれば、起こるのです。それも立て続けに・・・おそろしい!

ここにご紹介する二人のピアニスト。トップのお写真が、ヴィジュアル的にやや地味目(!)だからといって、あなどってはいけませんよ!たまたまお二人とも、ナショナリティとしては中国です。国際レベルに到達するコンテスタントたちはたいてい、留学歴もマスタークラス歴もコンクール歴もワールドワイドですから、国籍をことさら言及しなくてはならない意味が、今後どれほどの重要性を持つかは、だんだんわからなくなっていくと思いますが。まだ現時点では、便利でわかりやすいため。

お一人目はユートン・スン Yutong Sun(カタカナは私が”たぶん”というところで表記しています)。
この人の演奏は、1次予選の配信で初めて聴いたときから、「こっ・・・これはっ・・・!!!」となった方です。すいません、ここで打ち明けますが、その瞬間以来、彼はわたくし飯田の個人的な”推し”(の一人)であります。

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2次で実際にその演奏に触れ、圧倒されました・・・。
何がすごいか。
作り込んで準備しまくった結果としてではなく、あくまでも無限にある作品解釈の「今はこれ」というのを、流れに応じてスッと引き出している(少なくともそう感じさせる)こと。その結果、いっさいの無駄な力が抜け、全ての音に、パーフェクトに意味や方向性=命が宿り、あまりにも自然に、流れに応じて音楽が即座に変容していく(うわー、抽象的! ニュアンスで読んでください・汗)。

バラードop.47では、激昂と諦念とが同居し、まさにショパンの悲哀、感情的沸点の表現が、とても洗練されて届きます・・・ショック(もちろんいい意味で)。

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(あっ ipadを使っている!)

そして、配信を見た時から、私が勝手に名付けたユートンさん独特の弾き姿勢「文豪弾き」が、ポロネーズop.44でみられて密かにコーフン。
これはどういう弾き方かというと、「一生懸命ピアノを弾いています!」といった身体の動き方が全然なくなって、ピタッと上半身を固定させ、音楽の流れをじわじわと息長く、激しく形成しているときに起こるもので、まるで何か「書き物でもしています」みたいに見えるんです。出てくる音楽からは、ロマン主義文学、まさにショパンが生きた激動の時代を映し出すロマン主義の純文学の世界が感じられるのです(ipadユーザーだけど)。
ちょっと顔を右側に傾けて、伏目がちに、じわじわと音楽を高める・・・もし、彼が次のステージに進めて、またそんなシーンがあったら、「出た!文豪弾き」と応援したいです。



そしてもうお一人は、ユーチョン・ウー Yuchong Wuさん(カタカナ表記、だいじょぶかな)。
1曲目の舟歌から、すごく耳のいい人だと感じました。ほんの1小節ですが、途中にでてくるユニゾン(右手と左手で同じ音を音域違いで弾くこと)の繊細なバランス=「一人じゃなくて、二人いる」表現の美しいこと!やられたぁ・・・。

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この人も、ユートンさんと同様に、数ある表現の中から、今はこの流れだからこれね、っとスッと出している感じがする。
ときおり、歌声が出ちゃうんですよね、この方。邪念なく音楽だけに向き合っていることが感じられて、音楽がとても大きくて、個人的に、好ましい。
ワルツOp.34-2は、た〜っぷりと時間をかけましたが、それが自然なんですよね。表現にかかる必要な時間だから。ある意味、どんだけリラックスできてるんだ!と思いますが、自分の精神(緊張とか、結果への意識とか)よりも音楽優先という、厳しさの果てなのかもしれない。

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ということで、海外勢に関しては、私も力むことなく聴いて、好きなように(?)言えてしまうため、やや長くなりましたが、日本勢を応援しながら、ぜひ「今まで知らなかったこの人」も見つけ、演奏を楽しんでいきましょう!


写真:©Wojciech Grzedzinski/ Darek Golik (NIFC)


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