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特別インタビュー:アルトゥル・シュクレネル国立ショパン研究所所長

第19回ショパン国際ピアノコンクール記者発表のために来日した国立フリデリク・ショパン研究所所長アルトゥル・シュクレネルさんに、記者会見終了後に個別インタビューの機会をいただき、前回のコンクールの印象や今回のコンクールの課題変更のねらいなどを伺いました。(聴き手:加藤哲礼(ピティナ育英室長)


1つ1つの質問に丁寧に真摯に答えてくださるシュクレネル所長

Q.
今日はインタビューの機会をいただき、ありがとうございます。早速ですが、記者発表でも取り上げられたように、2025年のコンクールに向けては、課題曲に印象的な変更がいくつかありました。最も大きな変更は、ファイナルにおいて、協奏曲だけでなく、ソロで「幻想ポロネーズ」を演奏するということだと思います。この意図をお聞かせください。

A.
はい、今回は幻想ポロネーズをすべてのファイナリストに弾いていただくことになります。理由は大きく言って二つあります。
まず、「ピアニストたちに、音楽に入っていく時間を与えたい」ということです。ファイナリストの中には、オーケストラとの共演の経験が浅い方や、ときには初めてオーケストラと共演するという方が含まれます。極度の緊張により音楽にうまく入り込めないピアニストも見てきましたので、まずソロで幻想ポロネーズを弾くことで、彼らがスムーズに音楽に入っていくチャンスを与えたいと思ったわけです。幻想ポロネーズという作品は、即興的な側面を持った作品でもありますから、音楽に入っていくきっかけを与えられるのではないかと思っています。
一方、ファイナルステージにもなりますと、聴衆も審査員も、コンテスタントたちの演奏に慣れきっていますので、若書きのコンチェルトの演奏だけで判断してしまうよりは、ショパンの成熟した時期の作品である「幻想ポロネーズ」でピアニストたちの幅広い音楽性を聴かせていただこうと考えました。

Q.
課題の変更点として、幻想ポロネーズと並んで強調されていたのが、「24の前奏曲」と「ワルツ」を光の当たる場所へ持ってきたということでした。それぞれの作品であぶり出されるピアニズムはどのようなものでしょうか。

A.
「24の前奏曲」が全曲演奏という形で課題に初めて現れたのは2015年のことでした。前奏曲集またはソナタのいずれかの選択という形で課題に出されました。

前奏曲は1曲ずつはミニマムなものですが、全曲を通して弾くことで、一つの全く新しい形、「ミクロコスモス」とでもいうべきものが生まれる作品です。ショパンは、さまざまな革新的な音楽形式の発明者ですが、特にこの前奏曲集を通して、当時としては革新的な様々な音楽形式の試みを聴くことができ、同時にもちろんテクニックや音楽性、ピアノスティックな要素を聴くこともできます。全ての要素をこの前奏曲集を通じて聴くことができると思っています。

2015年のコンクールで、優勝者のチョ・ソンジンさんは、前奏曲かソナタかを選択するのはなく、第2次予選ではソナタ第2番を、第3次予選では24の前奏曲と、両方を演奏しました。そのような形で、自らをアピールするピアニストも出てきたことは印象的でした。


今回のコンクールでは、三次予選でソナタを必ず弾くということに戻しつつ、二次予選に前奏曲を弾くチャンスを残しておくような形になりました。

ソナタに関しては、「ソナタ形式」という、古典の時代からずっと積み重ねられてきた一種の遺産としての確固とした形がありますが、ショパンはそれに対しても議論を呼び起こすような立場で作曲をしています。シューマンのソナタなどとは少し違うものですね。そのような点からソナタを表現したいというピアニストも尊重したいですし、一方で、前奏曲は、当時としてみるとアヴァンギャルドとも言ってよい作品ですから、そうした作品を披露したいというピアニストの希望にも応える、という意味で設定された課題といえるでしょう。

Q.
「ワルツ」についてはいかがですか?

A.
ワルツを1次予選に持ってきたのは、できるだけ早い段階で「舞曲」形式のものを演奏する能力がどのくらいそのピアニストにあるのかを、審査員に聴いてもらいたいという意図があります。

たとえば、エチュードはテクニックを聴くことができる作品ですし(もちろんそれだけではありませんが)、ノクターンではリリシズムを聴くことができるでしょう。一方、現代にあっては、伝統的な舞曲、ダンスの形式を理解し、表現するというのは非常に難しくなってきており、演奏者にとっては大きなチャレンジですので、それについてどう考えたかということを早い段階で聴きたいというのが、最初のステージにワルツを持ってきた意図になります。もちろんそれは「マズルカ」にも同じことがいえるわけですが、今回は「ワルツ」ではどう表現するかということに焦点を当てています。


Q.

なるほど、よく分かりました。ところで、前回2021年は、日本からインターネットを通じて非常に多くの方がショパンコンクールを視聴していました。ショパンコンクールは以前から新しい取り組みや配信に力を入れてきたコンクールですが、特に前回の成果は顕著だったと思われます。「ピアニストにとっての聴衆」の変化や拡大をどのようにお考えでしょうか。

A.
私は、ピアニストにとってはそれほど変わっていないと思っていますし、そうであってほしいとも思っています。方法は変わっても、「お客様に音楽を届ける」というピアニストがなすべきことは、まったく変わらないという意味で、です。
ただ、一つ言えることがあるとすれば、ピアニストが俳優、セレブリティになっていくというところでしょうか。現代のピアニストは、<カメラ>の存在を無視して演奏することはできなくなっています。
もちろん、今まで以上に聴衆の方々に注目されるということは、ピアニストにとって大きな力になりますし、目指すものの一つにもなっていきますので、その意味ではプラスではあると思います。しかし、もしかすると、良くないコメントがあったり、プライバシーの侵害に当たることがあったりしたときに、ネガティブな印象を持ってしまうかもしれません。どんな人間にも当てはまることですが、とりわけピアニストというのは芸術家であり、繊細な感性を持つ人が多いので、影響が大きいと言えるかもしれません。

ショパンコンクールの主催者としては、テレビでも、スチールカメラマンでも、ピアニストが「今は撮ってほしくない、一人にしてほしい」と望んだときにはいつでも、それを最大限尊重するようにしています。映画「ピアノフォルテ」ではまさにコンテスタントたちを主人公としましたが、非常に近くから撮っている、家の中で過ごしているような雰囲気のシーンにおいても、すべて出演者の許可を取っていますし、彼らのストレスにならないように配慮していました。

常にピアニストに寄り添ってコンクールを運営していると語るシュクレネル所長

Q.
その意味では、先ほどの「幻想ポロネーズ」をファイナルに置いた意図についても「ピアニストたちに音楽に入っていく時間を設けてあげたい」というお答えが非常に印象的でした。コンクールのオーガナイザーとして、ピアニストたちにどういう場を与えたいか、どういう主催者・コンクールでありたい、と思っていらっしゃいますか?

A.
私たちショパン研究所のスタッフは、ほぼ全員がピアノを弾いていたことがあります。私も12年間ピアノを学んでいました。そのため、全てのスタッフが「ピアノを弾く」ということの光と影の両方の面を熟知しています。

私が毎回このコンクールで伝えていることがあります。とりわけ、1次予選が終わった後のコンテスタントへ向けて、「2次予選に進めなかったことで負けたと思わないでほしい、この場に来れただけで君たちはエリートなのだから」と伝えます。コンクールは、最も素晴らしい演奏、またはその時点で最も素晴らしい状態にある演奏者を選ぶ大会ではありますが、一方で、私たちはすべての出場者・演奏者に対して等しく敬意をもって接しています。

前回のコンクールでも結果発表では常に温かいメッセージが伝えられた

私たちはコンクールをオーガナイズするだけでなく、本当に様々な活動をしていますが、とりわけ重視しているのは、若いピアニストたちを支援することです。若いピアニストにはいつでも門戸を開いており、彼らが例えばコンチェルトの録音を送ってきてくれれば、それを聴いてマスタークラスの事務局に送ったり、コンサートを企画してあげたりと、そういった形でのサポートをずっと続けてきています。

若いピアニストにとって一番大変なのは、「存在に気づいてもらえるようになる」ということです。そこが本当に大変なのです。その点をサポートしたいと考えています。既にこれまでに200名以上のピアニストたちを世に出る形でサポートしていますし、今後も続けていきたいと思っています。ポーランドで名前が出ているピアニストたちのほとんどは、私たちのプロジェクトの出身者です。そのことに誇りを持っています。

Q.
素晴らしいプロジェクトですね。そもそも、Institute(研究所)が音楽コンクールを主催している、というのが、世界的に見てもユニークだと思います。研究をしている機関がコンクールも主催している意義について、どのようにお考えでしょうか。

A.
日本語の「研究所」という言葉は、必ずしも「Institute」と完全には一致しないのですが、とはいえポーランド語の「Institute」という言葉も、やはり「研究」とか「勉学」とか、そういった言葉と結びついた側面はあります。

Chopin Intsituteが初めてできたのは1930年代です。当時もこの「Institute」という言葉を使っていたのですが、実態としては「友好団体」「愛好家団体」といった性格のものでした。それでも「Institute」という名称を使ったかを推察しますと、やはりショパンの音楽というのが、どの時代においても、新たな研究を重ねていかないと分からない要素に満ちている存在だからということがあったのではないでしょうか。ですから、常に研究と演奏という両輪があり、ショパン研究所の活動には、ショパン博物館の運営や様々な芸術イベントの企画もありますし、ショパンコンクールを開くこともあるということが自然だったわけです。

ショパン博物館

実は、現在の私どもの研究所は、21世紀の初頭にポーランド政府、ポーランド文化・国家遺産省が、「ショパンはポーランドとってのかけがえのない遺産なのだから、国の機関としてきちんと1つの組織が責任を持って研究し、保存活動をしていかなければならない」と考えて立ち上げたという経緯があります。これはおそらく世界的にも非常にレアなケースではないでしょうか。ふつうは、フィルハーモニーを作りましょう、ミュージアムを建てましょうなどといったプロジェクトや組織が、それぞれ別個に立ち上がるものですが、私たちの組織では、コンクールも行い、博物館も運営し、フェスティバルも実施します。とにかくショパンに関する全てのものを一手に引き受けて研究と実践とを同時に進めている、非常に例外的な存在だと思います。

一つの研究所の中に多様なセクションがあるので、様々な企画をするのに非常に良い点があります。例えば、研究のセクションで新たな発見があると、すぐにそれをテーマとしてフェスティバルや演奏会を企画したり、出版したりすることができます。お互いのそれぞれの仕事が、別のセクションにも良い影響を与え合って、素早い実現に繋がっていると考えています。

Q
なるほど、Institiuteの意義もよく分かりました。本日は貴重なお時間をありがとうございました。

シュクレネル所長、ありがとうございました!

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