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理学療法士×インクルーシブダンス💃 留学で得たマインド

踊るPT、室井明日香です!読んで頂きありがとうございます。

留学後も、ありがたいことに24時間テレビや、HANAZONO EXPOなど大きいイベントが続き応援して下さった方々ありがとうございました!

24時間テレビ
HANAZONO EXPO

 前回までの投稿は、多様性のある包括的なダンス(インクルーシブダンス)へのきっかけやこの分野にこだわる理由、ダンスの可能性など綴らせて頂きました。

 今回はインクルーシブダンスからは少し離れ、私個人の話になりますが、忘れられない2022年の締めくくりとして、留学により変化したマインドについてまとめたいと思います。

 完全な自己満足ですが、等身大の今の自分を残してみたいという気持ちと、あわよくば、どなたかが共感や前向きな気持ちを感じて頂けたならとても光栄です!
 ご興味を持って下さる方からは、なんで留学行ったの?という質問をよく頂きますが、その答えにもなる気がします。

 物語的に読んで貰えると嬉しいです。笑

ダンスと勉学との両立

 私の小・中学校は週5,6日レッスンやイベントに行って、ずーっとダンス漬けの毎日でした。でも、ダンスしてるからって勉強も疎かにしたくない、というのも強く思ってました。

 ずっと憧れていた公立高校があったので、受験も必死だったんですが、、、結果は落ちました。

 公立に落ちたというのは、私にとってはダンスからも離れないといけない、ということでした。
 その頃、24時間テレビのダンス甲子園も夢見ていましたが諦めるしかなかった、思い描いた先が見えなくなる大きな挫折でした。

 高校生はダンスから少し離れて勉強し理学療法学科に入学しました。
 大学でまた、ダンスと理学療法士の勉強の両立を頑張っていましたが、、、やはり限界も感じて

 他大学のダンス友達といると
「なんで私だけこんな勉強してんのやろ、もっとダンスしたい」って思って

 理学療法学科の友達といると
「ダンスなんてしてる場合じゃない、もっと勉強頑張らな」って思って、、常にそのハザマにいました。

どちらも大事で、必死だったけど
どちらかだけを極めようとしている人には、どうも届かない。
両方諦めきれずに、頑張ろうとする私は結局は中途半端なんかな、、って。

 仕事をしながらもダンスは続けていましたが、同世代はプロのダンサーか、あとは学生ばっかり。
 もちろん好きで続けているんですが、今更プロになれるわけでもないのに良い歳していつまでやってんのかな、、そんな気持ちも年々大きくなり、ずっとどこか自信がなかったです。

車いすダンスとの出会い

 理学療法士4年目。
それまでは、病院内の研究チームを通して学会など参加していましたが、この分野を極めたい!!っていう特定の興味はありませんでした。

 いろんな分野を勉強したり自己分析などをしている中で、ピアサポートや就労支援など地域社会の包括的な取り組みや、障がいのある人の生き方に興味があることが見えてきて、特にその中でも障がいのある人と踊る活動を知り、前投稿の通り夢中になりました。

海外留学に向けて

 海外のSNSでは、障がいだけでなく、国籍・年齢・性別、、、もっといろんな違いのある人が一緒に踊っている動画をたくさん見ました。

 また、海外留学経験のある車いすユーザーさんが
「自分が障がい者であることを忘れて過ごすことができた」と、仰ってました。
それで感じたのは、

「私が車いすダンスを通じて知った 
”ともに生きる” この感覚が社会全体で広がっている世界が本当にあるんだ」 って。
それをどうしても肌で感じたい、そう思って留学を決意しました。

 もともと英語が好きでいつか留学したかったなぁ、、っていう諦めかけた想いはずっと残ってて、ダンスの聖地Los Angelesへの憧れもありました。

 それから1年間、必死にインクルーシブダンスを調べては、現地の人にアプローチしましたが
なんの実績もない私を受け入れてくれるはずもなく、、。
一時は諦めかけましたが、でももう頭に浮かんでしまったからには、後悔するのが目に見えてました。

 仕事を辞めてダンス留学に行くというのは勇気のいることでしたが、やっと行く明確な理由ができた!絶対に行く価値がある!っていう謎の自信によって、結局アポは取れていない段階で渡米しました。

・・・もう話が長い。
はい、やっと留学の本題にいきます。(すみません)

留学中

 もちろん誰も知らない、何もかもが違う環境の中で私は、仕事を辞めてアメリカに来てまで、ダンスや多様性のある文化・芸術を学びに来たのだから
3か月という短い時間で必ず今後の糧になるものを持って帰りたい、ただその一心で必死でした。

学校の無い時間は、ひたすらレッスンに通う。

何人も断られながらも調べてアポイント取って会いに行く。

インクルーシブダンスに関するイベントがあれば飛行機乗り継いででも参加する。

拙い英語だけど街中でいろんな人に話しかけてその土地の文化を知る。

 ここでしかできない経験や、チャンスを探し求めては、とにかく我武者羅によく行動していたように思います。そうやって行動して夢を口にしていると、国は違えど熱意を感じ協力してくれる人が周りにできてきました。

その中で貰えた下記の言葉はすごく今も胸に刻まれています。

"Be proud of yourself.
(あなた自身に誇りを持ちなさい)”

”You can do everything what you want.
(あなたが望むことなら、なんだってできるよ)”
 

 心強い言葉で応援してくれて、私はやっと、この生き方で良いんだって、
自分を認めてあげることができました。

 ダンスだけしてきたとしても、理学療法士だけをしてきたとしても、今の熱意は持てていない。両側面からこの分野の可能性を感じられていない。

両方を大事にしてきた私だからできる生き方をしてるんだって、自信を掴むことができました。

 
何より、大好きなダンスと英語に囲まれ、多様性のある文化に触れることができて、本当に心から幸せでした。

ホストファミリーや友人、学校の先生がかけてくれた言葉
※走り書きの日記なので、
様々な英語の間違いは見逃して下さい。

 諦めた24時間テレビにも、すべてが繋がって、先日出させて貰いました。すごく嬉しかったのは、昔のダンス友達、勉強一緒に頑張った友達、家族、たっくさんの方から「あすからしくて、かっこいいね!」って言って貰えたことです。

 2つも欲張るのは中途半端って思われるかもしれませんが、私にとってはダンスと理学療法士、大事なものを譲らずに貫くといつかは光るものになるって実感しています。

 決して一人で頑張り続けられたわけでははく、アポイントのメールの書き方も知らなかった私を日本でもアメリカでも、本当にいろんな方々が助けて下さり感謝してもしきれません。
 今後とも支えて下さる方々に、ありがたく頼らせて貰いながら、自分を信じて頑張っていきたいと思います!

まとめ

 長いストーリーになりましたが読んで下さり、ありがとうございます。
"好き"をこれからも大切に、両側面の可能性を感じながら二足の草鞋で進みたいなと思います!

 それと実は、「ともに生きる」という内容に加えて、このような話を車いすダンスの学校講演会の中で、中高生にお話させて貰ったりもしています。

車いすダンス学校講演

 揺れ動く学生に、自分らしく熱意を持って行動した先には結果が待ってるよって、大人になることが楽しみになるような、
明るい未来を感じられる姿を見て貰えたらなと思って、教育現場にも少し関わらせて貰っています。

 次回投稿は、無知な私が素直に感じたアメリカでの気付きや発見を書き進めていきます。
ありがとうございました。



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