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「やりたいこと」と「向いていること」
僕は今、「やりたいこと」と「向いていること」の狭間にいる。
夢無し族というジャンルの人々が世間には大勢いるそうだが、僕は恵まれたことに夢をたくさん持っていた。
小さい頃から遡ると、
「お母さんが病気になったら僕が助けるよ」と親を喜ばせるために言った《お医者さん》になる夢。
池袋の寿司屋で初めて大人が対等な感じですごく優しくしてくれた経験から長らく続いた《お寿司やさん》になる夢。
詩が好きだった優しい小学校の校長先生に憧れて抱いた《校長先生》になる夢。
テニスが大好きになってこのままうまくなれたらなりたいなと漠然と思った《テニスプレイヤー》になる夢。
姉の友達家族と海外旅行に行った時に友達のお兄さんがアメリカンドリームを抱いていたのに憧れた《海外で働く人》になる夢。
一時夢を失いつつもある時母親に「あんた喋るの好きだから安住さんみたいになればいいじゃない」と言われグイグイと引き込まれていった《アナウンサー》になる夢。
そして、今の職業にも繋がった《ディレクター》になる夢。なかでもドラマが好きで演出をやってみたくて何度か経験できた《監督》になる夢。
29年で色々夢を持ってきた。そして自分の目指した場所で一歩を踏み出しつつあり、外から見れば順調に見えると思う。
しかし、だ。
仕事へのモチベーションが下がるときがある。
それは、自分のやりたいことがやれる環境にないからだ。
僕のやりたいこととは何なのか?自問自答を繰り返し妻に相談しているうちに出た一つの答えがあった。
取材、という行為。
相手のことを深く知っていき、信頼関係を築いていき、番組の構成を考え、撮影をさせていただき、それを相手のことを尊重しながら丁寧に演出を考え編集し、世に出す。ドキュメンタリーを見た方々に「こんなに頑張っている人がいるんだ」「いいもの見たな」と思ってもらえたら、最終的に取材させていただいた方に恩返しが少しできる時もある。
最初の職場で4年間頑張ってきた経験が今さらとても愛しく感じるのだ。
方や今の職場・仕事では取材をする時間がまともに取れない。日々の仕事をやりきることに精一杯。さらにドラマという手法は、手段としてあるべきだと思ってしまう自分もいる。取材を積み重ねて、最終的にドラマとして表現するのがベストだと判断すればそれでいいと思うが、ドラマを作る前提で取材をするのはドキュメンタリーを作るときの掘り出していく感覚とは違い、答え合わせをするような感覚になりがちでなんだか味気ないのだ。自分ができていないだけだということはもちろん承知した上で。
またドラマという手法はやはり脚本と演出がとても大事で、それを作るには相当の人生経験が必要だとも感じる。全うに普通に生きてきたつもりの僕から出るものでは、面白さにたどり着けないのだ。その点、ドキュメンタリーはその人の素晴らしいところや面白さを見つける作業だ。僕に経験がなくても、信頼を築いて見つけることさえできれば、逆に自分の人生観を揺るがすような経験をさせてもらえる。仕事をしながら自らの人間性を広げていける、まさに夢のような職業だ。
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夢を叶えることには吟味が必要だった
最初の職場に居たとき好きだった上司は「ドラマに行きたい行きたい、だって好きなんだもん!」と五月蝿い僕にかつて言ってくれた。
「お前みたいに優しいやつは、ドキュメンタリーに向いてるよ」
そのときは夢を叶えることに無我夢中だったので、嬉しい反面、向いてることよりもやりたいこと、好きなことに僕は向かうんだと決心していた。
しかし、3年経った今、あの言葉がいつも脳内でリフレインしている。そして、向いていると言われたことが実はすごく好きだったことにも気づいている。
もう一度最初から出直そう、と考えた。会社にもそういう申告をするつもりだ。
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僕が転職…?
そんな最中、昨日高校時代からの親友に「起業するかもしれないから、そのときは手伝ってほしい」と言われた。内容的には広告の編集マンの役割を担ってほしいとのこと。
心から尊敬する大好きな親友が、別に何かの能力が抜群に高いわけでもなく僕を誘ってくれたことがまずとても嬉しかった。彼が僕が作った映像を見たのは、たぶん僕の結婚式のVTRと友達の結婚式の余興VTRくらいなのに、だ。たぶん能力を評価してくれたというよりも、たまたま彼のできる分野と違う分野にいたということと、僕との付き合い、人柄を見て夢を追いかける仲間として誘ってくれた気がした。
親友は言った。
できることで勝負するんじゃなくて、これからやればいいだけだよ。
学生時代にいつか一緒に働けるといいね、という話をしていたこともあり、ついにそんな時期が来たのか、僕らも大人になった、と突然の誘いに心踊る自分と、取材はできないだろうなーと悩む自分と、生活を考える自分がいた。
そして一晩たって、まだモヤモヤのなかにいる。
取材が好きだからドラマを離れたい、と考えていたが、よくよく考えると「自分の裁量が大きい仕事がしたい」という欲求もあるのだと気づいた。また、ドキュメンタリーを作るなかにもちろん編集という作業が含まれていて、編集も好きだということにも気付いた。
新しい選択肢が増えて、そちらの選択肢を選んだ場合の人生を空想した。こんな道もあったんだ、と新しいことを始めるのが好きな自分はウキウキした。
一方で子作りをしている今、満足のいく給料をもらっている身として、リスクを負い、妻に苦労をかけるのを躊躇う自分も当然いる。
夢を持つことが一番大事だよ!一回しかない人生だから。
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きっとまだ答えは出ない。
「やりたいこと」と「向いていること」の狭間にいると最初に言ったが、それはただの二極化ではなく「やりたいこと」も複数僕のなかにあって、「向いてること」も複数ある。
そして新たな要素「友達に誘われて嬉しいこと」がエントリーした。
まだまだ僕は靄のなか。何者にでもなれる、はずだ。鰻登りの人生を。
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