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褥瘡について学び直してみた

突然ですが、皆さんは褥瘡(じょくそう)について、どのような印象を持っていますか?

・床ずれでしょ?
・寝たきりの人にできる
・痛そう
・病院でできたら、師長に怒られる
etc...

褥瘡の定義はこちら

身体に加わった外力は骨と皮膚表層の間の軟部組織の血流を低下,あるいは停止させる.この状況が一定時間持続されると組織は不可逆的な阻血性障害に陥り褥瘡となる。
褥瘡の定義

褥瘡は少し前まで、「看護の恥」と言われていました。

私の勤めていた病院でも、褥瘡を発見すると看護師さんが「ウソー⁉︎」と、ショックがって、そこから写真撮ったり、プラン考えたりと大変そうだったのを覚えています。

時の看護部長に、

「褥瘡なんて、基本はゼロなのよ!」

なんて言われたこともあったとか……

最近では、褥瘡の原因は看護だけでなく、環境や個人因子にも大きく影響することから、多職種で包括的に取り組む必要が言われています。

私も病院時代の4年間ほど、褥瘡対策委員会に所属しており、多くの方の褥瘡を見てきました。

そして、今年から働く在宅の現場でも、褥瘡保有者、または発生した方を既に何名か見ています。

このように、褥瘡は医療や介護の現場ではどこでも起こりうる問題です。

しかし、私には病院でも在宅でも、褥瘡についてある違和感を持っていました。

今回は、その違和感の正体と、それを感じるきっかけとなった2名の物語を紹介し、最後に学び直したことでちょっとスッキリした、という内容の記事になっています。

違和感の正体

私が褥瘡について抱いた“ある違和感”。

それは…

騒いでるの、専門職側だけじゃない?

てこと。

患者本人は、

「えー?痛くないけどなぁ」

家族は、

「あ、ホンマですねぇ」

医療・介護職は、

「うわっ!ちょっと!褥瘡になってるー!」

だいたいこれぐらいのテンションの差があると感じています。

褥瘡ができる人は、やはり活動性の低い方が多いため、そうなると高齢や認知症の方の割合が多いですから、事態の深刻さに気づかない場合もあると思います。

しかし、比較的若年の方であっても、褥瘡ができた時に専門職側との温度差を経験してきました。

なぜ毎回のように専門職と褥瘡保有者本人との間にテンションのギャップができるのか?

その理由は、やはり患者さんの物語の中にありました。

ケース①仙骨にポケット形成した女性

その方と最初に出会ったのは、病院時代。

年齢は70歳程度だったが、持病の膠原病の影響で歩行は自宅内なら伝い歩きだが、他は全て車いすという女性だ。

車いすで過ごす時間が長時間に及ぶこと、そして殿部の筋萎縮が進んだことで仙骨部に褥瘡が発生し、どんどんひどくなりポケットと言われる皮下組織までえぐれた状態へ進行していた。

そこで他院の形成外科で“局所陰圧閉鎖療法(通称VAC療法)”を受け、私のいた病院へリハビリ目的で入院してきたのだ。

治療経過は順調で、創の縮小も認めたことからVAC療法を終了し、退院となった。
本人はリハビリ意欲もあったが、入院前以上の歩行能力が獲得できるわけはなく、退院に当たっては車いすのクッションの変更と座り直しなどの生活指導をおこなうことにした。

半年ほど経ったある日、この女性は再度入院となる。
原因は「仙骨部褥瘡からの感染」だった。

再入院でのリハビリは私が担当したのだが、その時退院後の話を聞いた。

「帰ってしばらくは良かったんやけど、車いすで出かけた時にガタガタ道があって、その時にお尻が痛かってん。でもすぐ収まったから放っておいたらじわじわ広がってたみたいね」

しかし、じわじわ広がったとは言え、現在も再びポケットができるほどの褥瘡になっており、感染まで引き起こしている。

なぜここまでひどくなったのか?

それについて本人は、

「痛くもなかったし、入院しても洗って薬塗るだけでしょ?ケアマネさんには訪問看護とかも言われたけど、それくらいなら娘がしてくれるし、困ることはなかったから」

とのことだった。

このように、褥瘡を軽視した結果、感染し再入院という大事を招いてしまったわけだが、この方の言葉を借りると褥瘡があるだけでは「困っていなかった」という。

ただ、娘さんの処置は適切だったのだろうか?
そこを指導したくとも、本人がこんな感じだと教育的介入も難しかっただろう。

適切解は思いつかないが、前回の退院時にあらかじめ褥瘡悪化について本人・家族、ケアマネなどの専門職と話し合って「こんな状態になればこうしましょう」と、決めておくことも必要だったかもしれない。

ケース②脊髄損傷の男性

脊髄損傷で下半身麻痺になった男性の訪問リハビリを担当していた頃、右足の踵に褥瘡を発見したことがあった。

この男性は60歳代で、妻の支えがあれば自分で起きて車いすへ移乗することも可能だったが、下半身麻痺のため踵の圧迫に気付かず、さらに下肢を移動させる際にベッドに擦ってしまっていたのだろう。それを繰り返したことで褥瘡ができたと予測された。

この日は除圧のため、下腿下にクッションを敷くよう妻には指導した。
その後看護師に報告し、翌日には往診医に診てもらい、そこで保護と除圧で様子を見る方向になったのだが、なかなか除圧が継続できなかった。

理由は、

「足を上げてると痛くて痺れてくる。クッションを入れた時は何ともないけど10分ぐらいしたらそっちの方が褥瘡より耐えれんくなってくる」

と、本人談。

感覚障害もあるので、褥瘡は痛みを感じないが、挙上やクッションやタオルによる圧迫は痛みがあり、耐えられないようだ。

その後もポジショニングや除圧方法を考えたが、やはり痛みが出てきて、どれもうまくいかなかった。
すでに体圧分散マットレスも導入していたので、八方塞がりになり、小さな浅い褥瘡であったが、なかなか治癒しきらない状態で経過してしまった。

この方の場合、脊髄損傷という疾患が背景にあり、自分なりの安楽な生活スタイルでは「褥瘡やむなし」という状態であった。

毎回踵をチェックするスタッフに、

「そんな気にせんでいいよぉ」

と、言っていたことがそれを物語っている。

まさに「大したことない」というスタンスで、専門職側との温度差を感じたシーンであった。

学び直しでの気づき

このような経験を通して、

「なぜ褥瘡はあったらダメなのか?」

と疑問を感じた私は、学び直そうと決心しました。

今回学び直しに用いたのは、日本褥瘡学会の在宅褥瘡eラーニング
褥瘡ケアの本丸の講座が無料で受けられるというのは非常にありがたい世の中ですね。

結論から言うと、やはり褥瘡は無いに限る。

ケース①でもありましたが、創ができ、組織が損傷し、感染や壊死が起こるすると本来の疾患とは別の要因で苦しまないといけません。
入院や治療にはお金も時間もかかります。

そして、褥瘡は個人因子、環境、ケアの状況など、さまざまな要因が絡まって引き起こされているので、在宅現場では必ずしも治癒だけが選択肢ではなく、現状維持を介入目標とする場合もあるようです。

これは在宅で働く身としては、心が軽くなりました。

生活の中に褥瘡ケアがなければなりません。
褥瘡を治すために生活を変えようとしても、ケース②のように本人が苦痛を感じれば継続したケアは困難になります。

現状維持を目指すことは消極的な介入ではありません!
感染を予防し、その人らしい在宅生活が送れるよう、専門職はマネジメントしていかなければならないのです。

また、ケース②で私は、「体圧分散マットレスを導入しているから八方塞がり」と言っていましたが、これについて学び直してみるとできることはまだまだありました。

例えば、OHスケールを用いて評価すると、点数に応じた適応すべきマットレスが紹介されています。
また、底づきという評価があり、今のマットレスで正しく除圧ができているかを見る方法もあります。

底づきは、マットレスの下に、評価者の手を差し込み、中指か人差し指を曲げて骨に触れるかで判断します。
これにより、マットレスが除圧に適切に作用しているか評価できます。

やはり、どのような医学的知識でもひとを支える上では重要になりますね。


今回は自分の感じた疑問を契機に褥瘡について学び直しをしました。
現場でも多く遭遇する褥瘡。今後も得た知識を実践に活かして、さらに知識を深めていきたいと思います。

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