教育とは、子どもの中に宿る善性をゆがめることなく助けることであるので、受動的、追随的でなければならず、決して命令的、規則的、干渉的であってはならない。フリードリヒ・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Fröbel)
教育とは、子どもの中に宿る善性を
ゆがめることなく助けることであるので、
受動的、追随的でなければならず、
決して命令的、規則的、干渉的であってはならない。
フリードリヒ・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Fröbel)
(ドイツの教育学者 幼児教育の祖 1782〜1852)
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人間界では、教育という考え方が、少し不自然になっているのでしょう。
その影響で、本来自分自身で学ぶことを、他人に依存し過ぎたり、誰かや環境のせいにしたりして、与えられるもの。与えるもの。と考えてしまいがちですね。
同じようなことをやるにしても、一律に同じことを伝えたとしても、それは、ごくわずかの存在にしか、当てはまらないことが多く、それができるかどうかで、能力があるなしの判断になっているような、本当に歪な状況になっているのが人間界でしょう。
一人ひとり違う存在ですから、同じはあり得ません。
もっと言えば、そのタイミングで、必要なものも千差万別でしょう。
それを規則的、一律にしてしまっては、ましてや強制などしても、あまり意味のあることにはなっていきませんね。
どうぞ、自分自身にも、未来を託す子供たちにも、こうあるべきだ。というような、過去や今の押し付けは、どんどん手放していってください。
無限大に広がる自然界と未来を、過去と今で縛ってしまうのは、本当にナンセンスなことです。
今の教育となどで教えているようなことより、もっと大切な伝えなければならないことがあります。
表面的なテクニックなどではなく、自然界の本質、自然とは何かということを、しっかりと伝えていくことの方が、はるかに重要なことです。
それをしっかりと身につけて上で、表面的な知識や情報、技術などが、大いに役立つことになります。
人間は何ものをも育てられません。自然界で育てるのは自然です。
人間は見守ることしかできません。
このことにも気づいていく必要がありますね。
まずは、背中を見せること。
子供たちの社会で問題になっていることなどは、大人の社会のそのままの投影です。
大人が行動を変えることなく、子供たちの行動や環境を変えようとしても、それは何の意味もなく、問題の解決に至ることはあり得ないでしょう。
大きな争いなどが、一人ひとりの身の回りから、小さな争いの種をなくしていくこと以外に、根本的になくしていくことができないのと同様に、イジメの問題などを解決していくには、大人たちのそういう言動が変わらなければ、子供たちの世界から、この問題がなくなることはないでしょう。
そして、個性を生かしていくこと。
個々に学ぶタイミングも、アプローチも、全く違うのが自然な姿です。
その個性に沿って、必要なことを伝えていくことに、手間暇を惜しんでいては、せっかくの素晴らしい能力を、充分に引き出せなくなってしまいます。
全ての能力を、自然に沿わせて、無限を感じられるほどに、その能力のより多くを、引き出していってください。
フレーベルさんの、こんな言葉もありました。
子供は5歳までにその一生涯に学ぶすべてを学び終えるものである。
知恵を求めることは、人間の最高の目的であり、
人間の自己決定の最高の行為である。
(浜本哲治)
オーベルヴァイスバッハのフレーベルの生家 Wikipediaより
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