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臨床ばかりのアラフォー理学療法士が大学院に行って気づいた6つの現実(スペシャルライター岩渕)

今回のスペシャルライターは岩渕さんです。

はっきりいいます。僕が今まで見たきた中で一番面白い記事です。

激しく共感します。

心に響く内容だと思うのでぜひ、参考にしてみてください↓

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2020年4月。

僕は37歳という年齢で某大学院に入学した。

夜間専門学校卒でライセンス取得後の15年は臨床ばかりやってきた。

研究実績はゼロ。

学会発表がこれまで2回あるだけで「社会的に認められる実績」と言えるものは皆無。

そんな僕がアラフォーになった今更どうして大学院に行こうと思ったのか。

それは、「このままではいけない」という強い危機感を持ったからに他ならない。​

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<この記事で得られること>
・臨床家に知って欲しい研究こと
・研究者に知って欲しい臨床のこと
・EBMとは
・専門学校卒で大学院に進学するには
・リハビリテーション界の発展に必要なこと


こういったことが僕の体験談を元に噛み砕いて表現されています。

読んでいただいた方それぞれの境遇の中で、感じること、活かせることがきっとあるはずです。

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臨床の中で抱き始めていた漠然とした危機感と不安感

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19年春。3〜4年前から抱き始めていた漠然とした危機感と不安感がどんどん強くなっていることを自覚した。

臨床ばかりやってきたことそのものにはプライドを持っている。

わからないことはとことん調べたし、できることの限界を感じながらも目の前の対象者の方には真摯に向き合ってきたつもりだ。

実際、組織に属しながらもフリーランスとして活動してきたので本当に多様な対象者さんをみてきた。

年齢は0歳から100歳まで。

病期は急性期から生活期。

予防も治療もパフォーマンスアップ目的のトレーニングもしたし、障害者、芸術家、妊婦、アスリートなど本当に多様な方を今もみさせてもらっている。

そんなこともあり臨床家として「手も足も出ない」ような対象者さんに会うことはここ数年ほぼなく、良くも悪くも無難になんでもこなせるようになっていた。


ここに危機感の理由一つがある。

臨床だけやっていてもこの先僕にできることはさほど変わらないのではないかという危機感

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にも関わらず、目の前の方の障害は残るし、求められたニーズに100%応えられないことなど日常茶飯事だ。

医療もスポーツもまだまだ発展途上でわからないことは山ほどあるしできることに限りはある。そんな限界を盲目的に受け入れる自分がいた。

しかも僕らの仕事は自分の力不足や至らなさを感じながらも「ありがとう」と言ってもらえることが本当に多い。

この「ありがとう」を素直に受け入れるにはあまりにも力不足だ。

また、臨床家として何かができるのは目の前の対象者の方だけだ。

当たり前の話だけど僕が出会っていない、あるいは知らない方には何をすることもできない。


実はそう思ってSNSでの発信は以前から行っていた。

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ブログを書いていたし、色々な媒体にコラムを寄贈していた。

そうすることで目の前にいない方にも届けることができないかと考えてしていたことだ。

実は危機感のもう一つの理由はこれだ。

不特定多数の人に見てもらえる可能性があるのがSNS最大の利点だと思うが、それにしても僕の声は届かなかった。

そこには戦略やハウツーがあることは十分承知している。


僕が発する言葉には多くの人に届ける「力」がなかった。

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「がんばれ!」


これは誰が見てもポジティブで前向きな言葉だと思う。

でも、尊敬しているあの人に言われた言葉なのか。
いつもダラダラしているアイツに言われた言葉なのか。

同じ言葉でも誰が言うかによって捉え方や届き方は大きく異なる(実は人によって捉え方が変わると言うのは悪いことでもある)。


そう、僕には言葉に力を持たせる実績が何もなかった。

冒頭に話した「社会的に認められる実績」とはなんだろう?

僕が考える社会的に認められる実績は・・・

「僕が死んでも残り続けるもの」
「僕のことを知らなくても届く可能性のあるもの」

だ。

僕が臨床で積み重ねてきた1対1あるいは1対複数人の実績は、良くも悪くもそれ以外の人には届かない。

もちろんやってきたことにはプライドもあるし責任もある。

関わってきた人の数だけ想いは僕の中に残り、それが生きる責任にもなっている。

単純に僕の背景には、僕を知らない人が僕を信じ得るに相応しい客観的なものがなにもない。そんなこんなで


・自分の臨床の限界を感じていたこと
・臨床の限界点を引き上げなければと考えたこと
・臨床だけでは多くの人に届かないこと
・言葉に力がないこと
・実績がないこと

これらを打破する手段は多くの選択肢があると思うが。

僕は大学院に行って、研究のイロハを学び、研究をして、論文を書く

という選択をした。

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