神々の島でチャージしたエナジーを使いきるばかりではなく自分で生み出す力を得たい
1月終わりの週末、神々の島に滞在してきた。…という書き出しからはや3ヶ月,最近秒で時間が過ぎ去っていくアラフィフBBAです。思い出せるかどうか分からないですけど,とりあえず朧気ながらも記憶があるうちに書き留めておく。
何の集まりかというと,がん緩和ケア領域に携わる心理職の自主勉強会。ここ最近はこういう領域で働く心理職も,業界内でだいぶ知名度が上がってきたけど,私が研修生をしていた約10年前は何ともニッチでマイナーなお仕事だった。公認心理師が誕生し,いろんな加算に名を連ねるようになってきて,何よりがんが「治療を続けながら生活ができる」病気になったという医学の進歩が大きい。
人は生きていると悩みがあるもの。がんの治療をしながらというのは,常に隣に死を意識するような生き方だ。濃度は違うけど,人が生きていくというのはそういうもの。ただ,がん患者には特有の悩みがあり,自分で解決したりコントロールしたりするのが難しい場合が多々ある。それを多種多様な専門職が支えながら患者さんは生活を続ける…。他職種連携の真骨頂ともいえる活動だ。
私がもともと心理職を目指そうとおもったのは,看護師をしていたホスピス時代までさかのぼる。当時は「心理職になろう」とは思っていなかった。看護師としてどう専門性を発揮すればいいか,自分がどういう人生を歩んでいきたいか,迷いに迷っていた時期に出会ったのがグリーフケアで,それは私の癒しになり,ちゃんと勉強したいと思ったのがそもそものきっかけである。このことは話始めると超絶長くなりそうなので,別の機会に思いっきりことばにできればと思う。
とにかく,超個人的な事情で心理職を目指すことになった。どの職種もそうだけど,だいたい「超個人的な事情」でしょうねぇ,職業選択って…。人生にも迷いまくっていた当時,このまま働き続けるか,一旦まったく別のものをしようかと迷い,「とりあえず」心理学でも学ぶかーと思った時代(不遜の極み)。看護学校出身者の私にとって,「キャンパスライフ」は憧れだった。せっかくだから憧れのキャンパスライフをエンジョイしたい(昭和のことばやな…)。
紆余曲折あって,無事院進し,資格取得まで漕ぎつけた。あとは就職するのみ!という段階で大きな壁が。当時はまだ緩和ケア領域でピンポイントの求人は皆無で,あっても北海道の地の果てとか…。よくて,総合病院の一業務に緩和ケアの仕事もあるよ,くらい。すでに40手前で体力気力もそこまでは…と思っていたし,遠い地でスーパービジョンどうすんの,研修どうすんの…と,まぁ…ようは乳離れできない子どもで,ひとりで心理職として働ける自信はまったくなかった。今となってはそれもしょうがなかったのかなと思うし,緩和ケア以外の領域の仕事に広く手を出すことになったので(パート掛持ちでいろいろやってた…今もそう),別に後悔とかはない。ただ,いつか何かの機会に…と思い,学びは続けようと思っていた。
細々と続けていた学びの関係で,年1回開催される全国規模の集まりがあって,それが今年の1月に広島の宮島で開催された。宮島…行ったことないし,行っちゃおうかなー…ぐらいのノリである。学会とか研修とかの参加するときって,だいたいこんな感じ。「宮島=鹿」ぐらいの情報しかなく,とりあえず申し込んで,そのままほぼ忘れていた。少しして「事例を出してみようかな」という気になり,これまた深く考えずに申込み。「クローズドの会なので,学会等で発表できない事例もみんなで検討しましょう」という文句に後押しされた。
緩和ケア領域の事例を学会発表するのは,本当に難しい。まず,本人に許可が取りにくい。最後はほとんど死に別れになってしまうし,看取り近くには本人の意識も混濁してしまうし,何よりそういうときに「学会で発表して…」なんてことは非常に言いにくい。もちろん,そういうことを話題にできる関係性になれないこともないけど,心理職が関わる方々はそんな余裕がない場合が多い。だから,私も当然,手元に残っているのはそんなケースばかりで,自分の中で未消化のまま心の奥底にしまわれてしまっていたものがいくつかあった。
初上陸の広島は,思った以上に遠かった。甲信地方に住んでいれば当たり前っちゃ当たり前なのだけど,昔淡路島に1年だけ住んでいたことがあるせいか,関西地方,中国四国地方は心理的距離が近い。ちなみに,親戚がいるためか九州地方も心理的距離が近いので,福岡で研修とか学会とかあると,わりとほいほい出かけてしまう(アホ)。とにかく,「広島ってすぐじゃん」(違う)とか思っていたので,新幹線の乗車料金がやけに高いな…とずっと思っていた。
日程は,宮島に1泊して研修,その後広島駅近くにもう一泊して観光でもしよっかな…というつもりでいたけど,距離を完全に見誤っていたので,思ったよりもタイトなスケジュールになってしまった。それでも宮島は結構堪能できた。
観光の話はおいておいて,研修の話。1日目は2事例オーディエンスとして参加し,2日は事例発表をした。緩和ケアの事例検討って,私の場合は二極化してしまう傾向にあり,聞いていてものすごくイライラするものと,しみじみと聞けるものとに分かれてしまう。特に研修生時代は,関心があって緩和ケア関係の発表を聞きに行くのだけれど,どれもこれもイライラしっぱなしでしばらく距離を取っている時期があった。師匠に相談したら,何か言われてものすごく納得したのだけど,それをきれいさっぱり忘れてしまった。多分,それなりに経験があるから,聞いていると「そんなことも…」と思うんじゃないか,ということだったと思う。ものすごい傲慢な態度…。
多分私が聞いていていらいらするのは,治療者が主体でやりたいことを無理にやろうとしている場合がほとんどだと思う。それは緩和ケア領域に限らず。患者あるいはクライアントの主体はどこにあるのか?ということは,いつも意識している。もちろん,患者やクライアントの病理性の影響もあるけど,そこに全部落とし込もうとすることもまた違う。周囲の人間関係,生活環境,地域性など,患者やクライアントを取り巻く「環境」はどうなっているのか。それを見落とすと容易に見立てがブレるはず。この時もそんなことを考えてしまう事例を見聞きして,ひとり悶々としていた。
この集まりの魅力は,宴会がセットになっていること。だから泊りなのである。真面目に事例を検討する時間と,酒を酌み交わし,酌み交わさなくても人と交流する時間が大事にされていることも魅力のひとつ。ここ数年でアルコールは飲めなくなってしまったし,元来人見知りなくせにそういう場所にはひとりで出かけていきたがる面倒なヤツなので,いつもひとりでぼーっとメシを食うことが多い。いいんですよ,そういう人なんで…。今回はたまたま知っている人が近くにいたせいで,とっつ構えていいようにお話してしまった。すみません,ご迷惑でしたよね…。でも,普段話せないことを思う存分話せる,貴重な機会でした。本当にありがたき…。
で,イライラした事例のことを聞いてみたら,相手も同じようなことを考えていたみたい。「だよねー」と言い合い,そのまま忘れていた。これじゃいかんですね,専門家としては…。今後の課題にします(そんなことばっかり)。
真面目に考える時間あり,テキトーこいてガハハと笑う時間あり。人と交流してもよし,ひとり静かに過ごすのもよし。こういう機会って,ありそうでない。本当にありがたいことである。
研修でも観光でも,エネルギーをチャージできた感覚が,このときは確かにあった。明日から頑張ろう!…そう思えたのも,ほんの数日。その週の終わりには,カッスカスの枯渇状態になっていた。なぜだ…。もうちょっと上手くチャージしたエネルギーを使えるようになりたい…,ソーラーパネルで何とかならないかしらん…(ならない)。
エネルギーチャージできる研修はなかなかお目にかかれない。そうしたものを血眼になって探したり,お財布をチラ見しながら参加するのも悪くはないけど,もうちょっと自給自足で何とかできないものかと思う。この辺は多分,個人的な課題でもあるのだろう。教えられるばかりではなく,経験が浅い若年層に大事なことを伝えることを意識しなければいけない。そんなお年頃になってしまった。自分に何ができるのか?改めて考えなければいけないのだ。