川を歩く夢は未来を示唆する夢らしい(2022/02/22)
* 本記事はブログからの移籍記事です。
今日の明け方,印象的な夢を見た。夢は毎日見る方である。でも,ほとんどの夢は大体すぐに忘れてしまう。覚醒しきった後まで記憶に残る夢を見るのは,年に数回ぐらい。今朝みた夢はこんな感じである。
”(多分)雨の降る中,川の中を上流に向かって大勢で歩いている。私はその集団の中の中盤ぐらいで歩いており,でも疲労困憊でついていくのがやっと。(現実世界には存在しない)知り合いの誰かが,励ましてくれながら一緒に歩いてくれている。装備は完全でかなりの荷物を背負っているが,その重さよりも雨の中,川の中を歩いている疲労感の方が苦痛に感じていた。
途中,足のつかないほどの深さ,物置の屋根がちょっと見えるぐらい水没しているぐらいの水深の場所を,泳いで渡らなければならなくなった。普段は慎重で怖がりなので,多分無理だろうと完璧な安全策を取りがちな性格なのだが,なぜか夢の中では不安はあるものの「多分大丈夫だろう」という変な自信を持っていた。そして,一緒に歩いてくれていた知人が「大丈夫だから,行ってごらん」と背中を押してくれ,それが何よりとても心強かった。
無事に深みを渡り切って,冷静になって落ち着いて周囲を見渡してみると,周囲にはごろごろと大きな石が転がっていた。それを見て「ああ,この辺は少し前に土砂崩れがあったんだろうな。いつまでもここにいるのは危ないのかもしれない」と思い,それを知人に言おうとして振り返ったところで目が覚めた。そのときは曇ってこそいたものの,雨は止んででいたと思う。“
こういう鮮明な夢を見たときは,概ねなにがしかの感情が伴う。今朝は,疲労困憊こそしていたものの,妙に晴れやかな気持ちというか,達成感があった。まあ,寝起きにすぐにスマホで「川の中を歩く夢の意味」とググって,夢占いでの意味を確認したので,それで印象も左右しているのだろうが,でも,恐怖に凍り付くとか,ひどく気分が落ち込むということはなかった。生来めでたい性格なので,だいたいこういうときは幸福感に包まれて二度寝する(そして夢の内容を忘れ去って幸福感だけが残る)ということが多いのだけど,年に一回あるかないかぐらいで,動揺するようなネガティブな感情に襲われることもある。
振り返ってみると,そういうときな仕事なりプライベートなりで追い詰められている(あるいは自分で自分を追い込んでいる)ときであり,そうした不安や緊張感が夢に現れていることが多い。分かりやすいのは,忙しい夜勤が続くと心電図のアラームを消しても消しても鳴り止まない,みたいな夢。今朝の夢はそれとはちょっと違う感じで,何となく何かを示唆しているのだろうか,とか思ってしまう。私はユンギアンではないので夢分析はまったく詳しくないのだけど,ネットで気軽に見られる夢占いでその意味を確認すると,どうも将来への展望的な意味らしい。こうした類のものがどれくらいユングの夢分析と関連しているかは不明だが,とりあえずいいとこどりでポジティブな内容だけは覚えていることが多い。すべての占いに関して,大体そんな感じの態度である。
川を渡る夢は人生の分岐点を示し,川を上流に向かって歩く夢は躍進を意味するそうだ。昨年末以降いろいろあって,フリーランスになることを決意した。といっても,資金も知識も技術も不足しているので,あと数年のうちに準備して,段階的にフリーランスへ移行しようと考えている。税金や資金繰りの知識がなさすぎるので(確定申告する程度は何とかなる),いろんなところで数年後にフリーランスになるぞと言いふらしていたら,「税務署で屋号を登録しておくと経費で落とせるものがあるらしい」という知識は得た。でも,資金繰りとかは全くのド素人である。20代とかなら,失敗しながら覚えて行けばいいと思えたかもしれないけど,人生の折り返し地点を過ぎたばかりのアラフィフはそんなリスクは冒せない。もちろんゼロリスクでいけるに越したことないが,多少何らかのリスクは負うものだと思っているので,それは可能な限り最小限にしておきたい。
幸い,居住地では,市町村の商工会議所が定期的に起業セミナーを開催している。フリーランスとはちょっと違うけど,経営とは何かを全く知らないよりは,知っておいた方がいいだろう。それに(確か)無料で,受講すると何とかという融資を受ける権利を得られるらしい。起業するか分からないが,まずは参加してみようと思っている。資金と体力と起業の知識が十分だったら,やりたいことはいくつかある。単なる個人開業だけではなく,プラスで居場所スペースの経営とか,がんサロン的なものとか,ゲストハウス経営とか(これは完全に趣味)。独身で子どももいないので,地域とのつながりがなさすぎることに,ときどき危機感を覚える。かといって,ボランティア活動に参加するほどコミュ力はなし,何らかの形で地域貢献できればなぁ…と長年考えてはいる。せっかく起業するんだったら,こうしたことにも手をだしてみたい。
とまあ,妄想だけはいっちょ前である(いつものこと)。人生半分過ぎて,妄想ばかりではいられない。できることを一つでも可能にできればと思うので,今年はその足掛かりに指の先だけでも乗せてみようと思っているのである。