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オンラインが当たり前になる世界が来るとは思ってもみなかった(2022/02/13)

* 本記事はブログからの移籍記事です。

 コロナ禍になってからこっち,心理臨床の世界でもオンラインが当たり前になりつつある。数年前から,オンラインでスーパービジョンを受けるというのをちらほら聞くようになったが,コロナ禍によって一気に普及し,日常的になったように感じる。そもそも,心理療法やカウンセリングといった仕事は,「対人援助職」と言われるように,人と会ってなんぼの世界である。それが,命を守るために否とされ,当たり前が当たり前でなくなった。この2年で,少なくともオンライン研修は一般化し,トレーニングには欠かせないものとなった。

 当初はその変化に戸惑い,受け入れがたく感じていたのだが,初めてみると簡単だし,何よりどこにいてもさまざまな体験ができるのがよい。田舎住なので,ちょっと遠方の研修に参加しようと思うと交通費がかさむし,何なら宿泊費もかかる。パートタイム掛け持ちで仕事をしていると研修費なんてものはもらえないから,概ね自費である。まあ,それを逆手にとって,研修と称して行ったことのない土地を旅することもよくあったが,コロナ禍になってからはその楽しみもなくなってしまった。私はこの2年はほとんど研修に参加することもなかったけど,資格更新がじりじりと迫っているので,そうも言っていられなくなってきた。だから,今年は関心がある研修は積極的に参加しようと思っている。手軽に参加できることが肯定される雰囲気があるうちに,できるだけ参加したい。

 コロナ禍が明けたら,この状況はどうなるのだろうか。オンラインカウンセリングを行っている相談室もあるようだが,私が勤務しているところでは対応していないので,すべて対面で行っている。クライアントさんによってはオンラインがいいという方もいるかもしれないが,だいたいは対面を希望されるのではないかと思う。でも,コロナ禍の状況によっては,これもどう変化していくか分からない。時代に即した形になっていくのだろうけど,自分がその変化についていけれるだろうかと思う。

 最近のテクノロジーの発展を見ていると,ゲームや映画の世界に現実が追い付きそうだと感じる。それは怖くもあり,わくわくと期待感もある。便利になるところもあるし,人が機械に使われる感覚が問題になっていくことも予想される(ゲーム依存とか)。以前,ロールシャッハ法に関心のある精神科医と,「心理検査の実施はAIのみで可能か否か」の議論をしたことがある。医師は「AIだけで実施できる時代が来る」と言い切っていたのに対し,心理士は「機械で分析できない繊細な機微まで所見に含ませることができるのは,やっぱり人でないと」という意見であったが,どこか説得力に欠けていた。心理士としてみれば,存亡の危機である。AIですべてが完了してしまうのであれば,必要ない存在であろう。それはどの職種も言えることで,そうするとテクノロジーに対して拒否反応を示してもおかしくない。

 話はそれるが,ゲーム依存の心配をしている保護者とお会いするとき,「ゲームはツールのひとつで,上手く使いこなせれば問題ないのでは」ということを必ず話題にする。もちろん,依存という心の問題についても話すが,だいたいは親がゲームについてよく知らないのに拒否反応を示して,「よく分からないものにのめり込んでいるように見える子どもは病気ではないか」と心配していることが多い。ゲームのキャラに自分を投影して自分を理解しようとしたり,ゲームの世界があることで現実世界を何とか生き抜いている,という大事な心の世界がどこかおざなりになって,「ゲームは悪」みたいな分かりやすい理論に頼ることで,親の不安を解消する,ということはよくあることだ。

 オンラインの普及で心理臨床家の私が体験したのは,そうした親御さんとにたような心境だったかもしれない。さまざまなオンラインツールは,あくまでも「ツール」なのである。使う人の使い方によって,良くも悪くもなる。せっかくだったら,人生をよりよくするために使うことできればいいので,拒否反応を示すことなくまずは「知る」ということをすることが必要なのではないか。「人生をよりよくする」というのは心理療法やカウンセリングも同じである。目的が同じだったら,共存できるのではないか。もちろん,オンライン普及に伴って起こる倫理問題に対処する必要はある。そうした配慮を十分した上で,心理臨床家にもクライアントにも益となるような世界になればいいと思う。

 年度の変わり目で,来年度の研修がぼちぼち出始めてきた。研修自体は参加するのは苦にならないので,楽しくなってしまって予定つめつめにならないようにだけは気をつけないと。あとはお財布と相談…。

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