死生観を感じる。「今日は死ぬのにもってこいの日」を読んだ日のこと。
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2020/07/05
こんにちは。HACOです。
ついにF1グランプリも再開して、今日は開幕戦オーストリアGP決勝の日です!世界がふたたび動きはじめていますね。アフターコロナな時代はどのような時代になっていくのか。変化があっても、変化がなくても新しい価値観を考える時代にはなりそうだなと思います。
自分が死ぬときには、何をかんがえているだろう。そんなことを考えることもありましたが、いまはあまりないですね。命がいつまで続くかということを考えたとしても、1秒後か数年後か、未来はわからないですからね。
そう考えるようになってからは、先のことを考えるよりも「いま」を意識することに興味や関心が向くようになったような気がします。
世界の色や見える景色も変わった瞬間がありました。
ちょっと過重労働?などで、限界ギリギリで動いていた時に(いまも?)、世界の色が灰色になったり、時間の流れが歪んでいたり、新しいビルが廃墟のような虚無感を感じさせるような老朽化してみえたりと。いま思うとホントにギリギリですね。わりと笑えない。
そのころに、2回目にこの本を読む流れになっていましたね。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた、
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
本文より
個人的には、インディアンの言葉とかそういうことは関係なく(大切なことなのですが)、こころに入ってきた言葉でしたね。意味が分かるとかではなく、何か感じたという言語化できない何かですね。
いまも、そんなときの気がしたので、また読んでみようかなと思っています。何か感じても、感じなくても興味深いなと思います。
そういえば、1回目に読んだのはだいぶ前で、ロバート・レッドフォード監督でブラッド・ピッド主演の「リバー・ランズ・スルー・イット」をビデオ!でみたときくらいでした。モンタナの自然と死生観の交わりを考えるきっかけになりました。その後に、この本に出合って読んだときは、また違った死生観を考えるきっかけに。死を内包して生きるような姿の中にある落ち着きというか、自然的な言葉でいう雄大さというか。儚さがベースにあるので、ものすごく不思議な感覚でしたね。仏教的な刹那さとも違ったそれが。死生観という言葉も、死+生の価値観で、死が先なんですよね。これは個人的にはしっくりくるのですが。
そこに合わさって、デイビッド・フィンチャーの「ゲーム」の中の一言の影響をうけて、「have a nice day」(よい一日を)という、いまを生きるための言葉、皮肉にも思えるようないまを感じさせる言葉が好きになりました。
「私は盲目であったが、今は見える。」この言葉も一緒に。
過去に読んでいてよかった思える本です。あの時の自分と、2回目に読んだ時の自分、そして、いまの自分と。本は不変なのに、自分が変化したことで、また新しい何かを感じることができるかもしれない不思議。ファンタジーですね。
そんな一冊でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日もよい一日を。
それでは、また。
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