自分を探す旅はこうでなくちゃ!「レディ・プレイヤー1」
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2020/07/12
こんにちは。HACOです。
いまさらながら見ました。スピルバーグ監督の「レディ・プレイヤー1」!
「俺はガンダムでいく!」の予告編で心をつかまれたのですが、いろいろ経ってしまっていまごろに。
控えめに言って、「最高でした!」。
ただ、ある意味で見る人を選ぶ作品だとも思いました。
宮崎駿監督の「風立ちぬ」を見たときと同じような感じ。作品のタイプは違うかもしれないですが、よく似た印象です。
自分のことを表現している。そんな作品だと感じました。簡単に言うと「自己紹介」映画かな。自分はこういう人間ですよというような。すごく「気恥ずかしい」気もしました。
80年代のサブカルチャーオタクの生き方というか。それをつくってきたことへの功罪というか、栄光と虚しさのような面も含めて。
何のために作ったのか?
この作品のテーマでもあると思います。
「自分を探し」ってこういう感じならありだと思います。
ありもしない自分や理想の自分を探しに行くのではなく、自分に向き合うということなので。といっても、その段階までが長いというのはしょうがないのかな。壁にぶつかって、自転車で走りだして、日本一周して、帰ってきたときに、何も得られなかったことに気づいたところが、自分探しのスタートライン的な。
自分のこころを「オアシス」(ゲーム内)に隠して、それを他人探させるというのもアレですが。他人ではないのだろうなと。自分のことをわかってくれる人が現れたら、それはもう他人ではないのかもしれない。
「つながる」ってそういうことかもしれない。
「リアル」だろうと「バーチャル」だろうとつながりは変わりない。リアルだからつながれるということもない。その逆もしかりで。
この考え方が幻想で、中二病的な思考であることを理解しながら、
「自分と同じ価値観を持って、同じようなレベルで分かりあえる」
そんな仲間を探し続けることの意味ですね。
もし、そのような仲間が見つかったら「奇跡」なんだと思います。
この作品に出会えたことに感謝です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日もよい一日を。
それでは、また。
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