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チャイゴを覚えられない理由

大学2回生が第2外国語の単位を取れずに困っているわけではない。

チャイコフスキーの交響曲第5番、通称「チャイ5」のことである。


やばい、知ったかぶりをしてしまった。

「チャイ5」が一般的に通じる言葉なのかも全く存じ上げない。Googleで調べると一応ヒットはしたため、普及度合はともかく存在してもおかしくないはずである。

今回も、立派な出自に基づいて交響曲第5番について語るわけでもなく、ニッチな共感をどこかで得れないものかと行き着いた果ての独り言である。ご承知いただきたい。




中流階級の庶民の生まれながら、私は未就学児の時点で既にクラシック音楽の沼に足を踏み入れていた。小学校1年生では、小学館より刊行されていた「21世紀こどもクラシック」シリーズをただひたすらに繰り返し聴いていた。
そのシリーズで、副反応のお供最有力候補のチャイコフスキーやムソルグスキーに出会うことも出来たし、ビビりの私を恐怖のどん底に叩き落したケテルビー「ペルシャの市場にて」の存在も知ることになった。
※恐怖のケテルビーについても共感を得たいので、別に記事にしようと思います



それはそうと、クラシック音楽について話を聴いてくれる人はあまりいなかった。インターネット環境もなく、CDをレンタルするお金もない私は、新たな知識を得られるわけでもなく、CDケースラベルの、カタカナで書き表された作曲家名に思い馳せていた。つまりクラシックに関する外部情報に触れる機会が非常に少なかった。

そのまま流行の音楽で話の合う友達はいながらも、クラシック熱はあまり分かち合うことなく中学生になり、高校生になり、大人になった。

未だにスーパードンキーコング2の各ステージ名やボーナスコインの場所を瞬時に思い出せるように、小学生時代に培われた記憶は、大人になって意図的に編集することは困難である。

チャイコフスキーは「チャイ」、ベートーベンは「ベト」、ブラームスは「ブラ」と略する文字を見るだけで違和感を覚える身体になってしまった。というのも私の中では「チャイコフスキー」「ベートーベン」「ブラームス」という文字列以外の単語は、大人になるまで見たことも聞いたこともない存在だったのである。高校や大学でオーケストラに参加している友人が話していても、全く結びつかない。

人名を略するなんて無礼者!と宣うつもりは一切ない。実際に演奏されている方は口に発する機会も多く略するのは当然だし、聴くだけの私よりもよっぽどその楽曲について深く考察されていると思う。


ただ私の場合はもう手遅れだったのだ。作曲家と楽曲を合わせて略された一単語となると、脳内に流れる音楽とは一切結びつかず、完全に別次元の単語としてとらえてしまう。


Twitterの140字がいくら貴重でも、「チャイコフスキー交響曲第5番」を「チャイ5」を略するわけにはいかないのである。

差分である10文字を大切にしたいこだわりがあることを強く主張したい。


加えて積極的に理解しにいくつもりもない太々しさもご理解いただきたい。

略語があると「大絶賛されている名曲」と形式上で理解し、周囲に鼻高々に魅力を語ってしまうであろう恥ずかしい自分が予想される。世評や作曲家自身の評価をも乗り換えて、私自身が実際に聴いて良いと感じた曲を名曲と位置付けたいと思う。

……作曲者自身にもそっぽを向かれてしまった、不遇の、チャイコフスキー作 交響詩的バラード「地方長官」は誰が何と言おうと名曲だし、反対に「ブラ1」と名高いブラームス作曲 交響曲第1番がどんな曲かを思い出せない自分へのお叱りの言葉も全力で受け止めたいと思う。




クラシックは好きだけれど、業界用語を使いこなせない。
ではなく、使いこなさない「染まらずの私」を敢えて誇る気持ちを誰かに共感してほしい。


そう思ってつらつら書いてみた。

次はレミオロメンについて書いてみようかな。


2022.02.02

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