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3回目のワクチン接種が少し楽しみな理由

勢い余ってnoteのアカウントを作ってしまった。
今後の計画性もなく、ただいくつかの共感を得たいばかりに。一方でこの初期衝動ともいえる厚顔無恥な勢いを尊重して、さっそく投稿してみることにした。

noteの機能も何も分かっていないので、これからきちんと整えようと思う。
自己紹介も後でいいか。
まずは書いてみよう。




2021年8月、私はベッドの上で独り虚しく、猛熱に抗っていた。
1回目のワクチン接種が2週間前に完了し、帰省もせず怠惰なお盆休みを終えた頃だったと思う。

高熱により意識が朦朧とする感覚は数年ぶりだった。
靄の中に数多の不安は過ぎれど、丁寧に対処する余裕もないので、とにかく寝て過ごすしかない。幸いなことに、杞憂で終わったワクチンの副反応への備えのおかげで、アクエリアスも充分すぎる在庫だった。
しかし寝ようとしても妙に感覚が研ぎ澄まされているせいで、ちょっとした外の音にもビクッと反応してしまう。

完全な無音下にはなれないことを悟った私は、聴き慣れた流行の音楽に救いを求めた。そんな中、私の普段の嗜好を完全に理解してくれたYoutube MusicのAIがセンスを遺憾無く発揮してくれて、当時リリース直後のOfficial髭男dismのアルバム「Editorial」を流してくれた。
最初の短いトラックを終え、トラック2の「アポトーシス」が耳元で流れてきた。行き場の無い感覚は全てその楽曲に注ぎ込まれた。

「アポトーシス」という曲の素晴らしさは、関ジャムという地上波の番組の中で蔦谷好位置さんがこれまた崇高かつ一般人にも分かり易い表現で語っておられたので、ここで敢えて語るのも野暮でしかない。


でも自慢したい。

リリースされて間もない時期から、蔦谷さんが語られたような魅力全てを、朦朧とした意識下で本能的に理解していたことを。如何なるフィルタを通さない純然たる聴覚のみで、この6分30秒から悟りを開きそうになっていたことを。
曲が終わって数分間は間違いなく、「アポトーシス」の最大の理解者だったと勝手に自負している。



熱が下がり意識も明瞭になった後も、私の脳内は「アポトーシス」の余韻でいっぱいだった。Twitterで交流のある方にだけでもこの楽曲の存在を今すぐお伝えしなさい、と脳から指令が下っていた。
こういう体験は一時の気の迷いかと思っていたが、不思議なことにあの意識下で「体感」して理解した魅力は、脳の抽斗に残っており、抽斗を開けると完璧に理解できている自分がずっとその後も存在していた。



さて、これを経て、完全に味を占めたのが私である。

朦朧とした意識……
研ぎ澄まされる聴覚……
これでどんな音楽も本能的に理解し、完全な理解者になれるのでは。

ひとつ道を誤ると危ない思想だが、このコロナ禍では必然的かつ計画的にこのタイミングがもたらされるはずである、と計らずとも気づいてしまった。
そう、2回目のワクチン接種の副反応である。

1回目が(ありがたいことに)空振った後の体験だったので不安ではあったが、再体験出来れば儲けもの感覚で、9月の2回目の接種にのぞんだ。
アクエリアスと、大量の着替えと、Youtube Musicの下心丸出しプレイリストを用意した。


結果、高熱には至らず、少ししんどい微熱が2日続く程度で終わってしまった。
改めて向き合いたい楽曲を詰め込んだプレイリストは残念ながら共有されることなく削除されてしまった。

流石に、高熱が出るように自ら立ち振る舞うほど、仕事も暇ではない。
数年後に訪れるであろう、次回の高熱時に持ち越すしかないと諦めていた。


そんな中、ブースター接種が囁かれ始め、今に至る。
ツラかった副反応が早くも心配、なんて声も聞こえる中で、私だけはもう一度あのチャンスがあるのではないかと不謹慎にも期待している。

次はクラシックの名楽曲から悟りの境地に至るのも面白そうだな。
キエフの大門を開けに行っても、1812年の大砲による空気の震えを体感するのも良い。


そんな「誰も共感してくれん。でも実はこっそり共感してほしいんや!」ということを書いてみることにした。
溜め込んだモノはいくつかあるので書いてみよう。



2022.02.01

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