この世界にはなんの価値もない
実存主義という哲学は、1800年代、セーレン・キェルケゴールというデンマークの哲学者によって提唱された。
実存主義では、この世界や社会自体にはなんの価値や意味もなく、一人一人が自分の人生に意味や価値を持たせる責任を持っていると主張している。
どういう事かというと、人生の価値や生きる意味は着いてくるものではなく、自分で見出すものであるという事である。
例えば、最後の一本が入ったタバコの箱が目の前にあるとする。
タバコを吸わない僕にとってはなんの価値もないものである。
しかし、タバコが好きな人にとっては、ものすごく価値のある1本であろう。
全く同じものなのに、そのタバコの価値や意味は全く違う。
つまり、このタバコ自体にはなんの価値もなく、それぞれの個人がそのタバコに意味や価値を見出しているのだ。
これはこの世の全てのものに通づる。
たとえば、恋愛が分かりやすいだろう。
大切なパートナーと愛し合っている時と別れた後では、全てが全く違うものに感じるだろう。
職場や同僚、その辺で楽しそうに笑っている他人ですらも、全く違うものに見える。
しかし、あなたにどんな事があり、あなたがどう感じていても、この世界は何も変わらず同じように進んでいる。
あなたが失恋したからといって、この世界があなたに対して酷い仕打ちをする事はない。
ただ、あなたがこの世界に絶望と孤独を感じる事になる。
つまり、先程同様、この世界自体にはなんの意味もなんの価値もない。
ただ、あなたが意味を付け、価値を見出しているのである。
もし、生きる意味や目的が見出せなくなると、「実存的危機」に陥ると実存主義者たちは述べている。
「実存的危機」とは、自分がなぜ、何のために生きていて、自分の人生に何の意味があるのかが分からなくなる状態の事である。
「自分は何のために生きていいるんだろう?」
「何のために毎日働いているんだろう?」
「私の人生には何の価値があるんだろう?」
「私は誰なんだろう?」
こういった疑問が頭から離れなくなる。
実存主義者の哲学者たちは、この状態が人生において最も危険な状態だと述べている。
過去に、有名なアーティストの話を書いた事がある。
彼は一流のアーティストで、実力、人気、名誉、全てを持っていた。
そんな彼がある日突然、「自分は何のために絵を描いているんだろうか?」と疑問を持つようになる。
そして、自分は何のために生きているのか、自分は誰なのか、
まさに「実存的危機」の状態に陥ってしまう。
そして彼は酷いうつ病を患ってしまう。
精神疾患は必ずしも、100%科学的なものではない。
精神疾患を理解し、改善するために科学の恩恵は計り知れないほど受けているが、何もかもが科学的ではない。
なぜなら科学は人の内までは見ない。しかし、人生の意味や価値は人の内にしかない。
科学では見えないところを理解するために哲学は非常に便利なのだ。
そして、あなたが見ている全ての世界には何の意味もない。
全てのものに自分で意味や価値をつけている事を忘れてはいけない。
この世界にはなんの価値もない。
最後まで読んで頂きありがとうございました。